山田文雄 (平安時代)とは? わかりやすく解説

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山田文雄 (平安時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 06:23 UTC 版)

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山田文雄
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下大和介
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 山田宿禰
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山田 文雄(やまだ の ふみお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族宿禰官位従五位下大和介

経歴

仁明朝承和9年(842年)に右大史官職にあったが、来日した渤海使・賀福延らが滞在する鴻臚館へ派遣され、使節らに時服を与える役目を果たしている[1]。承和10年(843年従五位下・大和介に叙任される。承和15年(848年勘解由次官として京官に復す。

嘉祥3年(850年文徳天皇即位後に備後介に遷ると、斉衡3年(856年)に河内介と、文徳朝ではもっぱら地方官を務め、この間の仁寿4年(854年)に内位の従五位下に叙せられている。

清和朝貞観5年(863年散位頭に任ぜられて京官に復すが、貞観8年(866年)に大和介に再任されている。

官歴

六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本後紀』承和9年4月1日条

参考文献




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