阿波国分尼寺跡
名称: | 阿波国分尼寺跡 |
ふりがな: | あわこくぶんにじあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 徳島県 |
市区町村: | 名西郡石井町 |
管理団体: | 石井町(昭48・8・11) |
指定年月日: | 1973.04.14(昭和48.04.14) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S48-05-137[[阿波国分尼寺]あわこくぶんにじ]跡.txt: 阿波国分尼寺跡は、徳島市の西方、吉野川と鮎喰川の合流点に形成された沖積平野の奥に位置している。 当地は、字名「[[尼寺]にんじ]」によって古くから尼寺跡として推定されてきた。最近の発掘調査により金堂跡・北門跡・廻廊跡をはじめ、寺域を限る築地およびそれに伴う堀が明らかとなった。この結果、付近の条里地割との関連からみて、方1町半の寺域を推定することが可能となった。本尼寺跡は、全国的にみても尼寺跡としては、その状況が明らかな部類に属するものといえる。 |
阿波国分尼寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 06:44 UTC 版)

阿波国分尼寺跡(あわこくぶんにじあと)は、徳島県名西郡石井町石井尼寺12-1にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、阿波国国分尼寺の寺院跡にあたる。
概要
寺の廃絶後も地名として「尼寺」(にんじ)が残っていた[1]。
1970年の住宅地造成の際に徳島県教育委員会による発掘調査が実施され、遺構や伽藍配置が確認された[3][4]。寺域は約150m四方と推定され、伽藍配置は北門・金堂が中軸上に直列する[2][3]。
文化財
国の史跡
- 阿波国分尼寺跡 - 昭和48年4月14日指定[1]。
現地情報
所在地
脚注
関連項目
- 阿波国分尼寺跡のページへのリンク