阿野一里塚とは? わかりやすく解説

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阿野一里塚

名称: 阿野一里塚
ふりがな あのいちりづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 愛知県
市区町村 豊明市阿野町
管理団体 豊明市(昭12・5・4)
指定年月日 1936.12.16(昭和11.12.16)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 東海道一里塚ニシテ街道両側ニアリ西塚ハ稍々方形ヲナシ底部縱約二十六尺横約二十八尺高約七尺アリ東塚略々西塚ニ等シク共ニ元アリシモ今存セズ東塚ニハ松樹アリ近年塚土ノ一部ヲ鑿取セシモ補ヒテ舊ニ復セリ縣下東海道沿ヒ一里塚中二相對保存セラルル點ニ於テ唯一ノモノナリ
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阿野一里塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 14:29 UTC 版)

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阿野一里塚
阿野一里塚
位置

阿野一里塚(あのいちりづか)は、愛知県豊明市阿野町にある一里塚。1936年(昭和11年)12月16日に国の史跡に指定された[1]

歴史

東海道池鯉鮒宿鳴海宿の間に位置する一里塚であり、日本橋から数えて86番目の一里塚である。慶長9年(1604年)、徳川家康の命を受けて永井白元と本田光重によって築かれた[2]

左右両側とも現存する一里塚は全国的にも珍しいとして、1936年(昭和11年)12月16日に国史跡に指定された。指定時には以下のように言及されている[3]

東海道ノ一里塚ニシテ街道ノ両側ニアリ西塚ハ稍々方形ヲナシ底部縱約二十六尺横約二十八尺高約七尺アリ東塚ハ略々西塚ニ等シク共ニ元榎アリシモ今存セズ東塚ニハ二株ノ松樹アリ近年塚土ノ一部ヲ鑿取セシモ補ヒテ舊ニ復セリ縣下東海道沿ヒ一里塚中二基相對シ保存セラルル點ニ於テ唯一ノモノナリ

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

  1. ^ 阿野一里塚”. 文化遺産オンライン. 2021年1月5日閲覧。
  2. ^ a b 阿野一里塚”. 豊明市観光協会. 2021年1月5日閲覧。
  3. ^ 阿野一里塚”. 国指定文化財等データベース. 2021年1月5日閲覧。

外部リンク

座標: 北緯35度02分52秒 東経137度00分12秒 / 北緯35.04767度 東経137.00336度 / 35.04767; 137.00336



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