にほんりょういき〔ニホンリヤウイキ〕【日本霊異記】
読み方:にほんりょういき
平安前期の日本最古の仏教説話集。3巻。景戒(けいかい・きょうかい)著。弘仁14年(823)ごろ成立。異聞・因果談・発心談など116の説話を、日本風の漢文で記したもの。日本国現報善悪霊異記。霊異記。にほんれいいき。
にほんれいいき【日本霊異記】
読み方:にほんれいいき
にほんりょういき 【日本霊異記】
日本霊異記〈巻下/(仁和寺心蓮院本)〉
主名称: | 日本霊異記〈巻下/(仁和寺心蓮院本)〉 |
指定番号: | 247 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1935.04.30(昭和10.04.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 嘉禎二年三月三日禅恵書写ノ奥書アリ |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1236 |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
日本霊異記〈中下/〉
主名称: | 日本霊異記〈中下/〉 |
指定番号: | 267 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1977.06.11(昭和52.06.11) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 2帖 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 日本霊異記(三巻)は、平安時代初期に奈良の僧景戒が著わしたもので、わが国最古の仏教説話集として名高い。その古写は稀で、これまで平安時代写本は興福寺本の上巻(国宝)のみであった。この来迎院本は近時発見された中・下の平安時代の写本で、巻中・下の序をほぼ完存してその内容を明らかにしていること等、従前の諸本の欠を補う点が多く、霊異記の成立あるいはその原本の姿を研究する上に貴重な古写本である。 |
日本霊異記〈巻中下/〉
主名称: | 日本霊異記〈巻中下/〉 |
指定番号: | 2122 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1905.04.04(明治38.04.04) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 2巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
書跡・典籍: | 日本法華験記 日本紀竟宴和歌 日本霊異記 日本霊異記 明儒願文集 明恵上人筆入解脱門義 明恵上人筆大唐天竺里程書 |
日本国現報善悪霊異記
『日本国現報善悪霊異記』(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)は、平安時代初期に書かれ、伝承された最古の説話集で『日本霊異記』と略して呼ぶことが多い。著者は景戒。上・中・下の三巻。変則的な漢文で表記されている。
成立事情と説話の背景
成立年ははっきりしないが、序と本文の記述から、弘仁13年 (822年) とする説がある。著者は奈良右京の薬師寺の僧、景戒である。景戒は、下の巻三十八の自叙伝において妻子とともに俗世で暮らしていたと記しており、国家の許しを得ない私度僧に好意的で、自身も若い頃は私度僧であったが後に薬師寺の官僧になったという。生国は、紀伊国名草郡。
説話の舞台と世相
上巻に35話、中巻に42話、下巻に39話[注 1]。で、合計116話が収められる。それぞれの話の時代は奈良時代が多く、古いものは雄略天皇の頃とされている。場所は東は上総国、西は肥後国と当時の物語としては極めて範囲が広い。その中では畿内と周辺諸国が多く、特に紀伊国が多い[注 2]。
『霊異記』の説話は、行基とその朋党が、民間布教と社会事業の実践のため遍歴した地域と重複する所が少なくない。また、遠国の説話には紀伊氏・大伴氏一族のかつての勢力圏や吉士氏の勢力圏の紀伊・大阪湾沿岸、ならびに二次入植地の東国と結び付くものが認められる[1]。
登場する人物は、庶人、役人から貴族、皇族に及び、僧も著名な高僧[注 3]から貧しい乞食僧まで出てくる。
その一方で、景戒が属する興福寺や法相宗(薬師寺・行基集団などを含む)を称賛する説話を多数収録する反面、道慈や鑑真ら他宗の僧侶などに関する逸話を忌避しているという見方もあり[2]、特に失明や眼病を悪行による仏罰であるとする説話を意図的に取り上げることで暗に(来日時に失明した)鑑真を否定的に評価する意図を有していたとする研究者もいる[3]。
田に引く水をめぐる争い(上巻第3)、盗品を市で売る盗人(上巻第34、第35、下巻第27)、長期勤務の防人の負担(中巻第3)、官営の鉱山を国司が人夫を使って掘ること(下巻第13)、浮浪人を捜索して税をとりたてる役人(下巻第14)、秤や桝を使い分けるごまかし(下巻第20、第26)など、説話自体が事実を伝えるものではないとしても、その主題から外れた背景・設定からは、当時の世相を窺い知ることが出来る。
また、性愛を扱った説話も収められている。例えば、生まれた息子を愛するあまりに陰茎を啜るようになった母が三年で病を得、臨終の際に子の陰茎を吸いながら「わたしは、今後次々に生まれ変わって、後の世でいつもそなたと夫婦になります」[4]と言い残し死ぬ。この母が隣家の娘に生まれ変わったのちに息子と結婚し、前世の墓の前で夫婦で嘆くといった奇譚などがある(中巻「女人. 大蛇に婚はれ薬の力に頼りて命を全くすること得る縁 第四十一」中の挿話 )。
説話の主題と思想
編纂の目的から、奇跡や怪異についての話が多い。『霊異記』の説話では、善悪は必ず報いをもたらし、その報いは現世のうちに来ることもあれば、来世で被ることも、地獄で受けることもある。説話の大部分は善をなして良い報いを受けた話、悪をなして悪い報いを受けた話のいずれか、あるいはその両方だが、一部には善悪と直接かかわりない怪異を記した話もある。
仏像と僧は尊いものである。善行には施し、放生といったものに加え、写経や信心一般がある。悪事には、殺人や盗みなどの他、動物に対する殺生も含まれる。狩りや漁を生業にするのもよくない。とりわけ悪いこととされるのが、僧に対する危害や侮辱である。と、これらが『霊異記』の考え方である。
転生が主題となる説話も多い。説話の中では、動物が人間的な感情や思考をもって振る舞うことが多く、人間だった者が前世の悪のために牛になることもある。
諸本
『日本霊異記』の古写本には、平安中期の興福寺本(上巻のみ、国宝)、来迎院本(中・下巻、国宝)、真福寺本(大須観音宝生院蔵、中・下巻、重要文化財)、前田家本(下巻、重要文化財)、金剛三昧院(高野山本、上中下巻)などがあり、興福寺本と真福寺本が校注本においても底本に用いられることが多い(『日本霊異記』の諸本については小泉道『日本霊異記諸本の研究』1989)。
「日本霊異記」刊行一覧
- 平凡社東洋文庫、初版1967年、口語訳、原田敏明、高橋貢訳。253p。ISBN 4582800971。ワイド版2004年
- 新訂版:平凡社ライブラリー、2000年1月、333p。ISBN 4582763197
- 読み下し文と口語訳
- 新潮社[新潮日本古典集成] 小泉道校注 1984年、新装版2018年。ISBN 410-6208075
- 小学館[日本古典文学全集10] 中田祝夫校注・訳
- 原文と読み下し文と口語訳
- 1975年11月 448p ISBN 409-6570060
- 新編 1995年9月。491p ISBN 409-6580104
- 1978年12月発行。209p。ISBN 4061583352
- 1979年4月発行。279p。ISBN 4061583360
- 1980年4月発行。320p。ISBN 4061583379
- 1997年11月発行。246p。ISBN 448008391X
- 1997年12月発行。318p。ISBN 4480083928
- 1998年1月発行。346p。ISBN 4480083936
- 1996年12月発行。325p。ISBN 4002400301
- 1978年12月発行、新版1993年。446p ISBN 4881423096
- メディアファクトリー『漫画 日本霊異記』漫画:ichida、メディアファクトリー新書、2013年 ISBN 978-4-8401-5175-7
- KADOKAWA単行本『口語訳 日本霊異記』、三浦佑之訳注、2024年
- 全文の口語訳と脚注、2024年11月発行、432p ISBN 9784044008321
脚注
注釈
出典
参考文献
- 小峯和明・篠川賢編 『日本霊異記を読む』 吉川弘文館 2004年 ISBN 4-642-02400-X
関連文献
- 三宅和朗『古代の人・ひと・ヒト-名前と身体から歴史を探る』[1]吉川弘文館 2022年 ISBN 9784642059527
関連項目
外部リンク
日本霊異記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:35 UTC 版)
長屋王の死から90年あまりのちに成立した『日本霊異記』は、以下のような話を伝えている。 奈良の都で天下をお治めになった聖武大上天皇は、大誓願を起こし、天平元年(729年)2月8日に、左京の元興寺で大法会を行い、三宝を供養された。太政大臣正二位の長屋親王に勅して、衆僧に食事を捧げる役の長官に任じた。時に一人の沙弥があり、不作法にも供養(食事)を盛るところで、鉢を捧げてご飯を貰おうとした。親王はこれを見て、牙冊(象牙の笏)で沙弥の頭を打った。頭が割れて血が流れた。沙弥は頭を撫で、血を拭い、恨めしそうに泣いて、その場から姿を消し、行方も知れなくなった。時に法会の衆、道俗はひそかにささやいて、「不吉だ、よいことはない」と言った。 この2日後、親王を妬む人があって、天皇に讒言して「長屋親王は、社稷(国家)を傾けることを謀り、皇位を狙おうとしています」と申し上げた。天皇は非常に立腹して、軍兵を派遣してたたかわせた。親王は自ら思った「罪なくして捕らえられる。必ず死んでしまうのだろう。他人に殺されるよりは、自分で死んだ方がましだ」。そこで、自分の子や孫に毒薬を服させ、絞め殺した後、親王も薬を服して自害された。 天皇は、勅して親王の死骸を城外に捨て、(霊魂が復活することのないように)焼きくだき、河に散らし、海に放擲した。ただ親王の骨は土左国に流した。そうしたら、その国の百姓(人民)に死んでしまうものが多くなった。そこで百姓たちは恐れて、官に解を出して、「親王の毒気によって、国中の百姓が皆死んでしまうでしょう」と申し上げた。天皇はこれを聞き、親王の遺骨をもう少し都に近づけようと、紀伊国の海部郡(あまのこおり)の椒枡(はじかみ)(現在の和歌山県海草郡)の奥の島(現在の有田市の北西、海上にある沖の島)にお置きになった。 上記は長屋王に批判的な立場から描かれたものであるが、長屋王自身が僧尼からよくは言われなかったことは確かなことであり、養老6年(722年)の太政官奏によると、 垂化設教資章程以方通、導俗訓人違彝典而即妨、比来在京僧尼不練戒律、浅識軽智巧説罪福之因果、門底廛頭訟誘都裏之衆庶、内黷聖教外虧皇献、遂令人之妻子動有事故、自剃頭髪輙離室家、無懲綱紀不顧親夫、或於路衢負経捧鉢、或於坊邑害身焼指、聚宿為恒妖訛成群、初似修道終為奸乱、永言其弊特須禁制、望請、京城及諸国国分遣判官一人、監当其事厳加捉搦、若有此色者、所由官司即解見任、其僧尼一同詐称聖道、妖惑百姓依律科罪、其犯者即決百杖、勒還郷族、主人隣保及坊令里長並決杖八十、不得官当蔭贖、量状如前、伏聴天裁、謹以申聞謹奏、奉勅、依奏 大意「近頃、在京の僧尼は戒律を守らず、浅薄な知識しか持ち合わせないのに罪福の因果を説き、都裏の庶民を誘惑している。その結果、遂には他人の妻子まで、自ら髪を剃り刻膚し、室家を離れ親や夫を顧みることなく綱紀に懲りるころなく、一団となって乞食をし、あやしげなことを口走っている始末である。このような情況は是非とも禁断しなければならない」 とある。
※この「日本霊異記」の解説は、「長屋王の変」の解説の一部です。
「日本霊異記」を含む「長屋王の変」の記事については、「長屋王の変」の概要を参照ください。
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