平遺跡
平遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:35 UTC 版)
平遺跡の特徴 日本海に面した段丘にできた砂丘上にあった、縄文時代前期から古墳時代にかけての遺跡として平遺跡がある。経ヶ岬から西に約7キロメートル、海岸から約150メートルの場所にあり、宇川左岸の標高約20メートル地点にある。これほど長期にわたる遺跡は西日本の日本海側では珍しいとされる。土器は近畿地方における縄文時代中期末の代表的なものとされ、平式土器という標式が生まれた。 平遺跡の発掘史 1940年(昭和15年)頃、平の「さんまい」の海岸にある畑の地主が壺を掘り出し、丹後町立上宇川小学校に届け出た。この土器片は1947年(昭和22年)2月に上宇川小学校で起こった火災で焼失したが、耕作中には多数の土器片が発見されている。1962年(昭和37年)9月末に丹後町立宇川中学校社会科クラブ員がこの海岸で拾った土器片がきっかけで、京都府文化財保護課と協議した後、同年12月21日から同志社大学考古学教室の酒詰仲男教授らによって3日間の試掘調査が行われた。1963年(昭和38年)5月1日から5月19日には、酒詰と堅田直を中心として本調査が行われ、同志社大学考古学教室の学生、大阪信愛女学院短期大学、宇川中学校クラブ員などが参加した。この調査では縄文時代中期から晩期の土師器・須恵器・弥生式土器が発掘され、約3000年という長い年代にわたる遺物が同一の遺跡から出土した点が珍しいとされた。丹後町では初めて出土した縄文時代の土器類だった。1965年(昭和40年)7月28日から8月10日には、帝塚山大学考古学研究室の事業として再調査が行われた。遺物含有層の厚さは約4メートルにも達し、層位は11層に分類された。 国道178号(丹後半島一周道路)改良事業に伴い、1996年度(平成8年度)には財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センターによる現地調査が行われ、縄文土器などに加えて古墳時代の石敷遺構や製塩土器等も出土した。2006年(平成18年)3月20日には「平遺跡出土遺物」は京丹後市指定文化財に指定され、京丹後市立丹後古代の里資料館に所蔵されている。
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