平遺跡とは? わかりやすく解説

平遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 14:09 UTC 版)

平遺跡(たいらいせき)は、新潟県新潟市秋葉区小口ほかに位置する縄文時代集落遺跡である。新潟市の遺跡番号はNo.128[1]




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平遺跡

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平 (京丹後市)」の記事における「平遺跡」の解説

平遺跡の特徴 日本海面した段丘にできた砂丘にあった縄文時代前期から古墳時代にかけての遺跡として平遺跡がある。経ヶ岬から西に約7キロメートル海岸から約150メートルの場所にあり、宇川左岸標高20メートル地点にある。これほど長期にわたる遺跡西日本日本海側では珍しいとされる土器近畿地方における縄文時代中期末の代表的なものとされ、平式土器という標式が生まれた。 平遺跡の発掘史 1940年昭和15年)頃、平の「さんまい」の海岸にある畑の地主が壺を掘り出し丹後町立上宇川小学校届け出た。この土器片は1947年昭和22年2月上宇川小学校起こった火災焼失したが、耕作中には多数土器片が発見されている。1962年昭和37年9月末に丹後町宇川中学校社会科クラブ員がこの海岸拾った土器片がきっかけで、京都府文化財保護課と協議した後、同年12月21日から同志社大学考古学教室酒詰仲男教授らによって3日間の試掘調査が行われた。1963年昭和38年5月1日から5月19日には、酒詰と堅田直を中心として本調査が行われ、同志社大学考古学教室学生大阪信愛女学院短期大学宇川中学校クラブ員などが参加した。この調査では縄文時代中期から晩期土師器須恵器弥生式土器発掘され、約3000年という長い年代にわたる遺物同一遺跡から出土した点が珍しいとされた。丹後町では初め出土した縄文時代土器類だった。1965年昭和40年7月28日から8月10日には、帝塚山大学考古学研究室の事業として再調査が行われた。遺物含有層の厚さは約4メートルにも達し層位11層に分類された。 国道178号丹後半島一周道路改良事業に伴い1996年度平成8年度)には財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センターによる現地調査が行われ、縄文土器などに加えて古墳時代石敷遺構製塩土器等も出土した2006年平成18年3月20日には「平遺跡出土遺物」は京丹後市指定文化財指定され京丹後市丹後古代の里資料館所蔵されている。

※この「平遺跡」の解説は、「平 (京丹後市)」の解説の一部です。
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