古代の里
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:44 UTC 版)
里遺跡からは縄文土器が出土しており、甑島列島で唯一縄文土器が出土した遺跡である。また、中町馬場遺跡では縄文時代晩期から弥生時代の遺物の含有層があることが鹿児島大学の調査により確認されている。弥生時代中期から後期の瀬戸内系土器や、刻目突帯文土器が主体であり、縄文時代晩期後半の黒川式土器も若干出土している 「里村郷土誌上巻」によれば地層・地質から現在の新町・中町・須口池付近は海岸線であったとされ、付近には貝塚や住居跡が確認されている。古墳時代には甑島を本拠としていた甑隼人の本拠地が里の古城であったという伝説が残されている。平安時代の嘉祥2年(849年)に川内の新田八幡宮(現在の新田神社)から里の八幡神社に分霊を勧請したとされている。
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