古代の金森
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:00 UTC 版)
現在、町内の金森遺跡と金森東遺跡(ともに弥生時代~平安時代)から集落や井戸跡と方形周溝墓、土錘や土器などが出土していることから、早くから人間が居住していたことがわかっている。市内最大の箱庭古墳(前方後円墳か帆立貝式古墳 全長45m以上)があることから、力ある首長の存在が予測されている。 7~8世紀以降、周辺には北東から南西に向かって条里制がひかれ、金森も条里集落の一つであった。また、壬申の乱における「安河浜の合戦」の主戦場を金森付近に比肩する説もあり、注目されている。 平安時代には天台宗の影響が強く、仁願寺や興満寺という寺が勢力を持っていた。また、郡衙に関係する役人として川那辺氏が移り住み、地域の土豪として金森城を擁して指導的役割を果たすようになっていく。
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