とお‐の‐みかど〔とほ‐〕【遠の朝=廷】
大宰府
遠の朝廷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:06 UTC 版)
「大宰府」も参照 律令体制下の日本の地方制度は五畿七道と称される。七道のうち、東海道、東山道、北陸道、南海道、山陽道、山陰道はいずれも畿内5か国(五畿)に接していた。唯一、陸接していない西海道すなわち現在の九州地方には、中央からの出先機関として大宰府が置かれ、大陸との外交や軍事を主任務とし、筑前国司を兼帯するとともに西海道に属する諸国の人事・行政・司法の一部を総管した。その権限の大きさから「遠の朝廷(とおのみかど)」「西御門」と呼ばれた。 なお、大宰府跡の発掘調査により、大宰府政庁は、第1期(7世紀後半-8世紀初頭)、第2期(8世紀初頭-10世紀中葉)、第3期(10世紀中葉-12世紀)の3つの建て替え時期のあったことが判明した。そのうち、第2期と第3期では朝堂院形式が採用されており、条坊も整備されて、律令国家確立期にあたる8世紀初頭には、景観の上でも「遠の朝廷」と呼ぶにふさわしい状態となったことがわかる。
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