藤原純友の乱とは? わかりやすく解説

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藤原純友の乱

読み方:フジワラノスミトモノラン(fujiwaranosumitomonoran)

10世紀瀬戸内地方反乱事件


承平天慶の乱

(藤原純友の乱 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 02:43 UTC 版)

承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)は、平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱(たいらのまさかどのらん)と瀬戸内海での藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)の総称である。一般に承平天慶の両元号の期間に発生した事からこのように呼称されている。


注釈

  1. ^ 国香の子の貞盛に嫁いだとも。
  2. ^ 時ニ武蔵権守興世ノ王、竊カニ將門ニ議テ云ク、「案内ヲ検スルニ、一國ヲ討テリト雖モ公ノ責メ輕カラジ。同ジク坂東ヲ虜掠シテ、暫ク氣色ヲ聞カム。」者。
  3. ^ 海音寺潮五郎は著書『悪人列伝 古代篇』にて、これを将門の無知の証拠であると指摘している。

出典

  1. ^ 将門の負因は低気圧?
  2. ^ 京都府レッドデータブック2015 砂岩ホルンフェルス(将門岩)
  3. ^ 三田武繁『鎌倉幕府体制成立史の研究』吉川弘文館、2007年、序章「一一八〇年代の内乱と鎌倉幕府体制の形成」。



藤原純友の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 22:49 UTC 版)

承平天慶の乱」の記事における「藤原純友の乱」の解説

承平天慶の頃、瀬戸内海では海賊による被害頻発していた。従七位下伊予掾の藤原純友海賊討伐当たっていたが、承平6年936年)頃には伊予国日振島根拠1000艘を組織する海賊頭目となっていたとされる。 しかし最近の研究では、純友が鎮圧の任に当たった海賊と、乱を起こした純友らの武装勢力性格異なることが指摘されている。純友が武力説得によって鎮圧した海賊は、朝廷機構改革人員削減された瀬戸内海一帯富豪層出身舎人たちが、税収既得権主張して運京租税奪取図っていたものであった。それに対して純友らの武装勢力は、海賊鎮圧後治安維持のために土着させられていた、武芸巧み中級官人層である。彼らは親の世代早世などによって保持する位階の上昇の機会逸して京の貴族社会から脱落し武功勲功認定によって失地回復図っていた者達であった。つまり、東国などの初期世代武士とほぼ同じ立場の者達だったのである。しかし彼らは、自らの勲功がより高位受領クラス下級貴族横取りされたり、それどころ受領として地方赴任する彼らの搾取対象となったりしたことで、任国受領支配に不満を募らせていったのであるまた、純友の父の従兄弟にあたる藤原元名承平2年から5年にかけて伊予守であったという事実に注目されている。純友はこの元名代行として現地派遣されて運京租税の任にあたるうちに富豪層出身舎人海賊勢力と関係を結んだとされている。 天慶2年939年12月、純友は部下藤原文元備前藤原子高播磨介島田惟幹を摂津国須岐駅にて襲撃させた。ちょうど、東国平将門謀反起こし新皇称したとの報告が京にもたらされており、朝廷驚愕し将門と純友が東西共謀して謀反起こしたではないか恐れた朝廷天慶3年940年1月16日小野好古山陽道追捕使源経基次官任じるとともに30日には純友の懐柔をはかり、従五位下授けとりあえずは兵力東国集中させた。純友はこれを受けたが、両端持して海賊行為はやめなかった。 2月5日、純友は淡路国兵器庫襲撃し兵器奪っている。この頃、京の各所放火頻発し小野好古は「純友は舟に乗り漕ぎ上りつつある(京に向かっている)」と報告している。朝廷は純友が京を襲撃するではないか恐れて宮廷14門に兵を配備して2月22日には藤原慶幸山城の入り口である山崎派遣して警備強化するが、26日には山崎が謎の放火によって焼き払われた。なお、この一連の事件と純友との関係について純友軍幹部前山城藤原三辰がいる事や先の藤原子高襲撃事件などから、実は純友の勢力瀬戸内海のみならず平安京周辺から摂津国にかけてのいわゆる盗賊」と呼ばれている武装した不満分子にも浸透しており、京への直接的脅威と言う点では、極めて深刻な状況であったのではとする見方もある。 2月25日将門討滅報告が京にもたらされる。この報に動揺したのか、純友は日振島に船を返したその影響6月には大宰府から解状高麗からの牒が無事に届けられ7月には左大臣藤原仲平呉越に対して使者派遣している。 だが、東国将門滅亡したことにより、兵力西国への集中が可能となったため、朝廷は純友討伐積極的になった。5月将門討伐向かった東征軍帰京すると、6月藤原文元藤原子高襲撃犯断定して追討令が出された。これは将門討伐成功によって純友鎮圧自信深めた朝廷が純友を挑発して彼に対して文元を引き渡して朝廷に従うか、それとも朝敵として討伐されるかの二者択一を迫るものであった8月、純友は400艘で出撃して伊予国讃岐国襲って放火備前国備後国兵船100余艘を焼いた。更に長門国襲撃し官物略奪した10月大宰府追捕使の兵が、純友軍戦い敗れている。11月周防国鋳銭司襲い焼いている。12月土佐国幡多郡襲撃天慶4年941年2月、純友軍幹部藤原恒利が朝廷軍降り朝廷軍は純友の本拠日振島攻め、これを破った。純友軍は西に逃れ大宰府攻撃して占領する。純友の弟の藤原純乗は、柳川侵攻するが、大宰権帥橘公頼の軍に蒲池敗れる。5月小野好古率い官軍九州到着好古陸路から、大蔵春実海路から攻撃した。純友は大宰府焼いて博多湾大蔵春実率い官軍迎え撃った激戦の末に純友軍大敗800余艘が官軍奪われた。純友は小舟乗って伊予逃れた同年6月、純友は伊予潜伏しているところを警固使橘遠保捕らえられ獄中没した

※この「藤原純友の乱」の解説は、「承平天慶の乱」の解説の一部です。
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