みゆき族とは? わかりやすく解説

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みゆき‐ぞく【みゆき族】

読み方:みゆきぞく

昭和30年代既成秩序とらわれず奔放な考え方や行動をした若者たちのこと。東京銀座みゆき通り集まったことからの名。


みゆき族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/31 20:59 UTC 版)

(みゆきぞく)は、既成の秩序にとらわれず、自由な考え方や行動を示す青年達の類型のひとつである[1]。1964年頃に日本の東京都中央区銀座みゆき通り近辺にたむろしていたことからのそのように命名された。独自のファッション文化やストリートカルチャーを日本に流行させた。

当時の銀座は多くの映画の舞台となっており[2][3]、現代物の映画では銀座のシーンを入れるのが定番となっていた[3]

概要

男性はアイビールックを崩し、バミューダショーツやつんつるてんのコットンパンツといった出で立ちでVAN[注 1][4]JUNの紙袋や頭陀袋[注 2]を小脇に抱え、女性は白いブラウスに踵の低いぺったんこの靴、ロングスカート、リボンベルトを後ろ手に締め、頭に三角折りしたスカーフや首にネッカチーフを巻き、そして男性同様に紙袋やズダ袋を抱え、特に何の目的もなくただみゆき通りをぶらぶらと闊歩することが流行した、こうしてみゆき通りと周辺に集う若者達のことをみゆき族と呼ぶようになった[5]

このブームは1964年4月28日創刊の週刊誌「平凡パンチ」のアイビーの知名度を上げることに一役かった[4]。彼らが地方からも集まった目的は、買い物のほか、同じ服の趣味の仲間を見つけてつるんだり、互いの趣味を競い合ったり、通りで異性と出会ったりすることだった。1960年代末に若者文化の中心が新宿に移る以前は、上京した若者が目指す場所は銀座であり、みゆき通りにはVANの大きな店舗があったことから若者はその周辺に集まってぶらぶらと歩いたりグループを組んでショーウィンドーの横に立ったりするようになった。

しかし「族」とはいえカミナリ族などのように周囲を困惑させるような反社会的な振る舞いを起こす事はなかったものの、週刊誌には彼らの「不純異性交遊」が書きたてられるようになった。店の前に若者グループにたむろされる地元商店主など「うろうろするだけで商売の邪魔。」[6]を始めとした都民からは警察への苦情が殺到し、同年10月より行われる1964年東京オリンピックへ向けての風紀向上策として警察は取り締まりを検討、9月12日には所轄の築地警察署によってみゆき族への一斉取り締まりが行われ、秋口には姿を消した[4]

アイビー族

みゆき族と若干オーバーラップした類似の流行として、1964年夏頃から1965年夏頃まで増加したアイビーファッションを着崩した若者はアイビー族と呼ばれた。アイビー族は銀座にも登場しており、みゆき族の後継とも見られていた[7]。みゆき族はフーテンバッグが特徴であったが、アイビー族はインディア・マドラス英語版のシャツに木綿のズボンが特徴であった[8][7]

1964年(昭和39年)には、「アイビーは不良とする偏見をなくそう」と主張するVAN党が、1500人ほどのメンバーで結成されたが[9]、このアイビー族も補導対象となり姿を消した[10]

その後

1965年にはエレキブームが起き、銀座でも1965年8月にエレキサウンドで踊るモンキー・ア・ゴーゴーが開店してモンキーダンスが流行した[11]ものの、モンキー・ア・ゴーゴーは9月には閉店となり、その後は都心の若者よりも原宿族などの副都心の若者が注目されるようになっていった。

その後、銀座では1969年に登場した女性誌『ELLE』の影響を受けてエリートスタイルが流行した[11]

関連作品

出典

  1. ^ 日本国語大辞典(小学館)
  2. ^ a b アイビーとVAN、そしてみゆき族の足跡を辿る。【速水健朗の文化的東京案内。銀座篇③】 CCCメディアハウス 2019年11月20日
  3. ^ a b 平野威馬雄『銀座の詩情 第2』 pp.297-299 白川書院 1966年 [1]
  4. ^ a b c 午後は○○おもいッきりテレビ今日は何の日? 9月12日 水曜日 みゆき族が一斉補導された日 Archived 2009年9月24日, at the Wayback Machine. 』 日本テレビ
  5. ^ 毎日新聞・昭和毎日『みゆき族がブームに』、毎日新聞社1964年9月(2010年11月閲覧)
  6. ^ くらしと中日Clife 2013年10月 中日新聞社販売局 アイビールック
  7. ^ a b 石津謙介・大高直輝・島崎信・須藤雅路・成田時治・宮崎千賀子「アイ・アイ・アイ」『カラーデザイン 11(8)』 p.25 日本繊維意匠センター 1965年8月 [2]
  8. ^ 福田成美「第六章 サンヨーのアイビー・キャンペーン」 小嶋外弘 編『マーケット・セグメンテーション : 消費者創造の新戦略』 p.177 ダイヤモンド社 1966年 [3]
  9. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、123頁。ISBN 9784309225043 
  10. ^ 「アイビー族をカモに 暴力団員がきょうかつ」『日本経済新聞』1965年(昭和40年)8月7日.15面
  11. ^ a b 平野威馬雄『銀座の詩情 第2』 pp.227-228 白川書院 1966年 [4]

脚注

  1. ^ 1978年(昭和53年)に倒産。
  2. ^ コーヒー豆の麻袋など。"フーテン・バッグとも言われた。

参考文献

関連文献

  • デーヴィッド・マークス『AMETORA(アメトラ) 日本がアメリカンスタイルを救った物語 日本人はどのようにメンズファッション文化を創造したのか?』DU BOOKS ISBN 9784866470054

関連項目



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