襲撃事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 20:23 UTC 版)
1953年(昭和28年)1月6日午後7時頃、大阪・天王寺で鶴田浩二襲撃事件が発生した。鶴田は美空ひばりの芸能界の兄貴的存在であり、ひばりの後ろ盾である山口組三代目組長の田岡一雄とは旧知の間柄であったにもかかわらず起きた事件であった。後に田岡は鶴田と会う機会があったが、田岡は脅しや暴力に屈しない鶴田の筋を通す生き方を認め和解、親交を深めることになっていく。「三代目の前で堂々としているのは鶴田ぐらいのもの」と周囲が驚くほどであった。 1955年(昭和30年)、マネージャーの兼松廉吉が青酸カリを飲み死亡。1956年(昭和31年)1月15日、元山口組興行部の西本一三が関西汽船「ひかり丸」から海に落ち死亡。いずれも自殺とされているが、原因ははっきりしない。 映画界のトップスターを襲った鶴田浩二襲撃事件は大きく報道され、当時まだ一地方の組織であった山口組が一気に全国的知名度を持つことになった。それと同時に山口組の機嫌を損ねると酷い目に遭うという恐怖を日本の芸能界興行界に定着させることになった。
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