襲撃事件後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:39 UTC 版)
2015年1月9日、パリ市から名誉市民の称号が贈られた。 2015年1月14日、事件後初となる「生存者の号」を発売。「すべて赦される(Tout est pardonné)」と題した表紙には、「Je suis Charlie」と書かれたカードを持って涙を流すムハンマドが描かれ、犠牲者らが過去に描いた風刺画(宗教批判全般を含む)が多数掲載された。1月11日の大行進の様子を描いた絵のタイトルは「シャルリーへの支持は(カトリックの)ミサ参加者より多い」、パリの凱旋門の絵には「パリはシャルリー(Paris est Charlie)」と書かれている。なお、『ニューヨーク・タイムズ』、『フィナンシャル・タイムズ』、『インデペンデント』などの英米の主要新聞の多くがこのムハンマドの表紙画の掲載を自粛した。日本でもほとんどの新聞社が自粛し、掲載した新聞のうち中日新聞社が発行する『東京新聞』『中日新聞』もイスラム教徒2団体からの抗議を受けて「おわび」を載せた。イスラエルの中道左派の新聞『ハアレツ』は「シャルリー・エブドの風刺画を検閲した英米のメディアは、ジハーディストの圧力に屈したのだ」と題する記事を掲載し、シャルリー・エブドの風刺画が他人の感情を害するものかどうかと問うこと自体に問題があり、他人の感情を害したから、挑発したからテロ事件の犠牲になったのだと言うことは、「強姦の犠牲者に対してスカートが短すぎたからだと言うようなものだ」と非難した。 2015年1月16日、ポントワーズで元編集長シャルブの葬儀が執り行われ、クリスチャーヌ・トビラ法務相、ナジャット・ヴァロー=ベルカセム教育相、フルール・ペルラン文化相、アンヌ・イダルゴ パリ市長、左派戦線のジャン=リュック・メランション党首、ピエール・ロラン共産党全国書記、「国境なき記者団」のクリストフ・ドロワール(フランス語版)事務局長らが出席した。トビラ法務相のほか、『シャルリー・エブド』の風刺画家・コラムニストらも追悼の辞を述べ、舞台に上がった仲間らはシャルブが好きだった陽気な音楽を演奏し、肩を抱き合い、涙を流しながら踊った。 2015年1月20日、新編集長に就任したリス (ローラン・スーリソー)が、「次号は来週ではなく、数週間後になる」と発表し、「この試練を創造的なものに変えていかなければならない。簡単なことではない。編集スタッフの一部はまだこの事件を克服できていないし、私自身、退院後、克服していけるかどうかわからない。いずれにせよ、やってみるしかない」と説明した。 2015年1月29日から開催されたアングレーム国際漫画祭では『シャルリー・エブド』との団結を表明する「Je suis Charlie」の標語を掲げ、過去の表紙画が多数展示された。『シャルリー・エブド』はアングレーム国際漫画祭特別グランプリを受賞した。 2015年2月、『シャルリー・エブド』の代理人リシャール・マルカ(フランス語版)がシャルリー・エブド襲撃事件の1か月後に創刊されたパスティーシュ「シャルピー・エブド (Charpie Hebdo)」(charpieは「ぼろぼろの布」の意味)の発禁を求めた。この出版社の責任者は、「パスティーシュほど素晴らしいオマージュはない。報道の自由の見事なシンボルだ」と反論した。 同じく2015年2月、シャルブとともに『ムハンマドの生涯』を出版した宗教担当ジャーナリストのジネブ・エル・ラズウィと彼女の夫がソーシャルメディア上で殺害脅迫を受けた。2人が朱色の服を着せられ、斬首刑に処せられる前の偽の写真がTwitter上に拡散したのである。モロッコに住む彼女の夫の住所や勤務先の写真も流され、彼は辞職を余儀なくされた。 2015年2月25日、「生存者の号」以来しばらく活動を中断していたが、「また始まった」と題する1179号を発行。国民戦線の党首マリーヌ・ル・ペン、サルコジ元大統領、ローマ法王、テロリスト等、これまでシャルリーの標的とされた人物がシャルリー・エブドの新聞をくわえた犬を追いかけている絵を掲載した。 2015年3月18日発売号で、「春」という見出しで今も収束していない東日本大震災の福島第一原子力発電所事故の影響を暗示する風刺画を掲載した。事故で煙を出す福島第一原子力発電所の前に大きな鳥の足跡を描き、防護服を着た作業員がその足跡を見て、「今年の最初のツバメだ」と話している(解釈:フランスのことわざ "Une hirondelle ne fait pas le printemps" は英語のことわざ "One swallow does not make a summer" に相当。春になるとツバメが戻ってくるが、一羽だけ見つけたからといってもう春だと思ってはいけない。すなわち「早合点してはいけない」。足跡は放射能被害により奇形が生じたことを示し、原発事故の被害を誇張しているが、それでもなお「早合点してはいけない」と示唆することで問題がいかに深刻かを示している)。このしばらく後に軽微な事故を起こしたフランス国内の原発2か所についても同じように扱っている。なお、原発批判については、既に2013年、東京が2020年夏季オリンピックの開催地に選ばれた際に、風刺画家カビュが「福島のおかげで相撲が五輪競技に」というタイトルで奇形の力士を描いた風刺画を風刺新聞『カナール・アンシェネ』に発表したことで日本から激しい非難を浴びることになったが、上記の通り、カビュは『シャルリー・エブド』が反核運動の発端となったビュジェ原子力発電所反対運動を起こした頃からのメンバーであり、反核運動は1970年の『シャルリー・エブド』創刊時からの最も重要な活動の一つである。 詳細は「カナール・アンシェネ」を参照 2015年5月、国際ペンクラブの「勇気と表現の自由」賞を受賞。サルマン・ラシュディのイニシアティブによるこの決定に英米の多くの作家が抗議した。 2015年5月18日、『シャルリー・エブド』に寄せられた約430万ユーロの寄付をすべて犠牲者の家族に贈ると発表した。 2015年5月21日、「生存者の号」の表紙画を含むムハンマドの絵なども描いていたリュズが事件後のつらい日々を絵でつづった『Catharsis(カタルシス)』を出版(Futuropolis)。彼はやがて『シャルリー・エブド』を離れることになった。 2016年1月、襲撃事件があった建物の正面に追悼記念碑が建てられた。 同じく2016年1月、ケルン大晦日集団性暴行事件を受けてアイラン・クルディ(英語版)が成長していれば痴漢になっていたという風刺画を掲載して人種差別的だという批判を浴びた。一方、マージド・ナワズ(英語版)はこれについて、「我々の中にある難民への反感を告発したものにほかならない」と解釈した。CNNはシャルリー・エブドに対し本件に関するコメントを求めたが、同紙はこれに応じなかった。 2016年4月、『シャルリー・エブド』に絵を連載していたカトリーヌ・ムリス(フランス語版)が事件後の長く苦しい日々のなかから軽やかさ(癒やし)を見いだすまでの経緯を美しい絵でつづった『La légèreté(軽やかさ)』を出版(Dargaud)。 2016年6月、「報道の自由、表現の自由、自由な精神」の促進を使命とするニュージアム(NEWSEUM, ワシントンD.C.)にシャルリー・エブド襲撃事件の犠牲者(シャルブ、ジョルジュ・ウォランスキ、カビュ、フィリップ・オノレ、ティニウス、ベルナール・マリス、エルザ・カヤットおよびムスタファ・ウラド)が、バングラデシュ、ブラジル、コンゴ民主共和国、イラク、メキシコ、パキスタン、ソマリア、トルコおよびシリアのブロガーや報道カメラマンらとともに登録され、同年9月には『インサイド・シャルリー・エブド』というドキュメンタリー映画が作成された。試写会に参加したカビュの妻ヴェロニク・ブラシェ・カビュは「彼らは自分たちがしていることがいかに重大なことか、その危険性をよくわかっていた。言論の自由のために犠牲を払った彼らがどんな仕事をしていたのか知ってもらいたい」と語った。 2016年9月3日号において、「イタリア風地震」と題する記事において、血だらけで包帯を巻いた男性を「トマトソースのペンネ」、やけどを負った女性を「ペンネ・グラタン」、がれきの間に挟まれた被災者たちの様子を「ラザニア」と8月に発生したイタリア中部地震の被災者をイタリア料理に見立てて揶揄する風刺画を掲載、イタリアのアンドレア・オルランド(英語版)法相が「非常に不快だ」とコメントし、ピエトロ・グラッソ(英語版)下院議長も「この風刺画は最低である」と批判したため、ソーシャルメディア上でも批判が殺到した。アマトリーチェ市長はこの件についてリエーティ検察庁に告発した。在イタリア仏大使館は声明を発表し、「フランスはイタリアを支援する、シャルリー・エブドは意見を自由に表現したのであって、フランスの立場を表わすものではない」とした。なお、編集長のリスは「フランス・アンテル」のインタビューに応えて、ブラックユーモアはこれまでにも度々掲載している、「死は常にタブーであり……時にはタブーを犯す必要がある」と説明した。 2016年11月、『シャルリー・エブド』ドイツ語版を発行。収益確保のための売上目標(週平均1万部)を達成することができず1年後に廃刊となった。 2017年3月、『シャルリー・エブド』の医療コラムニスト・救急医のパトリック・プルーが自らの苦しみをつづると同時に、医師としてテロリズムの犠牲者とどう向き合うかについて語った『L'instinct de vie(生の本能)』を出版(Le Cherche-Midi)。 2017年11月、性的暴行の疑惑を持たれているイスラム学者タリク・ラマダン(ムスリム同胞団創設者ハサン・アル=バンナーの孫)を描いた風刺画により、ソーシャルネットワーク上で殺害脅迫を受けたとして告発。これを受けて、エマニュエル・マクロン大統領率いる「共和国前進 (LREM)」のリシャール・フェラン(フランス語版)幹事長が、フランス国民議会(下院)において殺害脅迫を受けたシャルリー・エブドを守るべきだと訴えた。「この国民議会において、われわれはフランス全国民に対してはっきり言おう。いかなる信念も、いかなる理念も、いかなる宗教も、法律より上位にあると主張することはできないと」。議員のほぼ全員が一斉に立ち上がって拍手喝采した。 なお、タリク・ラマダンの二枚舌はしばしば非難されていたが、ウェブ新聞「メディアパルト(フランス語版)」の主幹エドウィ・プレネル(フランス語版)は彼を称えていたことから、性的暴行についても目をつぶっていたのだと非難する声が上がったため、『シャルリー・エブド』は、今度は「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿のようなエドウィ・プレネルの風刺画を表紙に掲載した。エドウィ・プレネルはこれに対して、ヴィシー政権がプロパガンダとしてレジスタンス活動家23人を処刑するよう呼びかけた「赤いポスター」に言及して自らを処刑されるレジスタンスの闘士になぞらえ、さらに、『シャルリー・エブド』のこの表紙画は「極右とすら結託」しかねない「血迷った左派」、「イスラム教徒に対する戦争という強迫観念」にとらわれた左派の運動の一環だとした。編集長のリスはこれに対して「イスラム教徒に対する戦争」だと言うエドウィ・プレネルはシャルリーに「再び死刑宣告を下したのだ」、「シャルリーは決してこの言葉を赦さない」と反論。フランス左派内の対立を浮き彫りにすることになった。 2018年1月の Ifop の世論調査によると、「今でもシャルリー(Toujours Charlie)」と回答したフランス人は2016年1月の71%から61%に減少した。これを受けて、仏ペンクラブ会長に就任したエマニュエル・ピエラ(フランス語版)はシャルリー・エブドの悲劇を思い起こし、あらためて検閲に反対し、表現の自由を守ると誓った。 2018年4月、ニュージアム(NEWSEUM, ワシントンD.C.)の「表現の自由賞(Free Expression Awards)」を受賞。 2018年4月12日、『シャルリー・エブド』文化コラムを担当し、襲撃事件で負傷したフィリップ・ランソン(フランス語版)が事件当日の様子とその後何度も受けた手術、リハビリなどの様子を詳細に語った『Le lambeau(ぼろ屑)』(Gallimard) を発表(lambeauは一義的には植皮のための皮膚を表す)。同年11月5日、2018年フェミナ賞を受賞。 2018年5月、襲撃事件(2015年1月)以来更新されていなかったTwitterを再開した。 2018年6月、編集長リスが、シャルリー・エブド襲撃事件に関して読者などから寄せられた支援や非難の手紙、絵などを含む56,000〜70,000の文書(段ボール箱35個分)を「パリ市の歴史と記憶の一部」としてパリ市立古文書館(フランス語版)に寄贈した。 2020年9月には、事件の裁判を前にして、事件のきっかけとされる風刺画を再掲載した。
※この「襲撃事件後」の解説は、「シャルリー・エブド」の解説の一部です。
「襲撃事件後」を含む「シャルリー・エブド」の記事については、「シャルリー・エブド」の概要を参照ください。
- 襲撃事件後のページへのリンク