朝鮮人による報復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:25 UTC 版)
万宝山事件の衝突現場写真 中国人襲撃事件後の平壌(1931年7月) 中国側が朝鮮排華事件後に作成したポスター 詳細は「朝鮮排華事件」を参照 朝鮮語の大手新聞であった「朝鮮日報」は“2日の衝突で多数の朝鮮人が亡くなった”と報じたが、この記事をきっかけに朝鮮半島での中国人への感情は悪化し、主に都市部で中国人排斥運動が起こった(朝鮮排華事件参照)。朝鮮半島のみならず、日本でも在日朝鮮人が在日中国人を襲撃する事件が相次ぎ、この排斥運動による中国人の死者は109人、負傷者は160人であった。運動のきっかけとなった記事を書いた朝鮮日報満洲長春支局長金利三(本名:金永錫)は14日の朝鮮日報に、「日本の情報に基づいて記事を書いたが誤報だった」とする謝罪文を掲載したが、翌日同じ朝鮮人によって銃で殺害された。
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