朝鮮人の戦時徴用とは? わかりやすく解説

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朝鮮人の戦時徴用(1944〜45年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:14 UTC 版)

日本統治時代の朝鮮人徴用」の記事における「朝鮮人の戦時徴用(194445年)」の解説

朝鮮総督府鉱工局労務事務官田原実は『大陸東洋経済1943年12月1日号での「座談会 朝鮮労務決戦寄与力」において、『従来工場鉱山労務充足状況を見ると、その九割までが自然流入で、あとの一割弱が斡旋だとか紹介所の紹介によっています。ところが今日では形勢一変して募集は困難です。そこで官の力-官斡旋充足部面が、非常に殖えてます。ところでこの官斡旋仕方ですが、朝鮮職業紹介所は各道に一カ所ぐらいしかなく組織陣容極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者取りまとめをやっていますが、この取りまとめがひじょうに窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。そのため輸送途中逃げたり、せっかく山に伴われていっても逃走したり、あるいは紛議起こすなどと、いう例が非常に多くなって困ります。しかし、それかといって徴用も今すぐにはできない事情ありますので、半強制的な供出今後もなお強化してゆかなければなるまい思っています』と述べている。 1944年9月日本政府国民徴用令による戦時徴用朝鮮半島でも開始し1945年3月までの7か月実施された。1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加第二次世界大戦戦況の悪化もあってそれほど多く無かったともいわれる。『朝鮮人強制連行論文集成』に記録されている証言では、徴用令には召集令状と同じ重みがあったこと、北海道樺太九州炭鉱に面()で500徴用されたという。 1944年4月13日付の朝鮮総督府官報 第五一五五号 (四)労務動員ニ就テ 1944年4月13日付の朝鮮総督府官報載った政務総監総督次席にあたる高官田中武雄訓示には次のように、 『国民動員計画に基く内地その他の地域対す産業要員および軍要員送出また激増来し今日お相弾力性有する半島人力我が国戦力増強最大の鍵となって居るのであります。…(中略)…官庁斡旋労務供出実情検討するに、労務応ずべき者の志望有無無視して漫然下部行政機関供出数を割当て下部行政機関もまた概して強制供出を敢てし、かくして労働能率低下招来しつつある欠陥断じて是正せねばなりません』 自由意志守られるはずの官斡旋だが、実情自由意志無視した強制供出が行われていたと書かれている1944年5月霊光郡での事例 1944年5月31日付の、北海道炭礦汽船株式会社霊光郡送出責任者釜山駐在員宛てた書簡では、霊光郡において「集合日指定時間内120名割当に対し参集せる者36名よりなく(之れも面にて強制的に連行せるもの)」、このため郡庁職員9名警察署高等経済係員及面職員総動員寝込みを襲ひ或は田畑稼動中の者を有無を言はせず連行する等相当無理なる方法を講し」て動員対象者確保し、また「万一割当責任供出不能場合理事長自己の家族中より適任者送出するか或は本人出動する様、郡、警察面長等より夫々申渡しを」するなどの措置をとって動員対象者確保努めていた。だが、この段階ではそのような強硬な手段以ってしても十分な人員集められず、「郡庁連行逃走せしもの或は宿舎にて逃走せるもの等簇生又は不具者或は老人息子逃走身代りとして父親連行せる者)病人多数あり」、しかも、「送出に無理せりたる為家族等と郡職員及面職員との間に大乱闘あり労務主任次席等は顔面其他を殴打され負傷する等の騒ぎあり」というような事態現出させていたことが書簡記されていた。 外村大は「地方組織や警察などを通じて動員」と「密航縁故渡航による渡航」では、働く場所や条件違っていたと記述する。「朝鮮人労働者希望した炭鉱経営者など」は「劣悪な労働条件でも働いてくれる人材調達するため」朝鮮にそれを求めたがやがて集まらなくなった。そこで「寝込みを襲ひ或は田畑稼働中の者を有無を言はさず連行する等相当無理なる方法」を講し、徴用令令状交付した。ゆえに朝鮮において国民徴用令発動遅かったのは「“より寛大な方法”での動員続いていたのではなく」「要員確保実態日本内地での徴用よりも厳しいものであったと書いている。 内務省復命書 1944年7月31日付、内務省嘱託小暮泰用から内務省管理局長竹内徳治に提出され復命書 では「民衆をして当局施策真義重大性等を認識せしむることなく民衆に対して義と涙なきは固より無理強制暴竹(食糧供出に於ける殴打家宅捜査呼出拷問労務供出に於ける不意打的人質拉致等)乃至稀に傷害致死事件等発生を見るが如き不詳事件すらある。斯くて供出時に掠奪性を帯び志願報国強制となり寄附徴収なる場合が多いと謂ふ」とある。また「…然らば無理を押して内地送出された朝鮮人労務者残留家庭実情果たし如何であろうか、一言以って之を言うならば実に惨憺目に余るものがあると云っても過言ではない。朝鮮人労務者内地送出実情に当って人質掠奪拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響さることながら送出即ち彼等家計収入停止意味する場合極めて多い様である…」、「徴用は別として其の他如何なる方式依る出動は全く拉致同様な状態である。其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲誘出其の他各種方策講じて人質略奪拉致事例多くなるのである何故に事前に知らせれば彼等逃亡するか、要するにそこには彼等精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理拙悪極まることは往々にして彼等身心破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊屡々あったからである」と記録されている。 この復命書について、元朝総督府高級官僚であった大師堂経慰は「この報告朝鮮総督府への要求緩和させるための、陳情目的もあった事を理解して頂きたい」「これは朝鮮全体として見ると、決し一般的ではなかった。地方地方事情異なっており、各人により対応が異なっていた」と語っている。 千葉県東金警察署長の報告書 終戦直後1945年9月28日付の千葉県東金警察署長から千葉県知事宛「終戦後朝鮮人取扱対し極度不平不満に関する件」では、「大東亜戦争勃発同時に移入労働者徴用するに当り田畑より看守付きでしかも自宅告げる事なく内地稼動所へ強制労働従事せしめた」「朝鮮人日本人である以上大東亜戦争をして有終の美を得せしむべく不可能な労働可能ならしめ戦力増強寄与したる点は内地人に劣らざる」と書いている。

※この「朝鮮人の戦時徴用(1944〜45年)」の解説は、「日本統治時代の朝鮮人徴用」の解説の一部です。
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