朝鮮人の日本内地への移入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:40 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮」の記事における「朝鮮人の日本内地への移入」の解説
李氏朝鮮時代から貧しかった南朝鮮から、職を求める多くの朝鮮人が日本に移入した。日本への渡航には渡航証明書が必要だったが、多くの朝鮮人が日本内地へ密航した。多くの密航業者が密航を斡旋し、巨万の富を築いた。2,000人を密航させた密航業者は一万数千円を荒稼ぎして妾を10人抱えるほどであった。密航は1930年代に入ると激増し、毎日のように摘発されるようになった。このため、1934年には岡田内閣は朝鮮人の密航の取り締まりを強化するために「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定したがその後も密航は増加していった。余りの密航の多さに日本政府は渡航制限を緩和したが、渡航条件を満たさないものたちによる密航は止まらなかった。第二次世界大戦中にも密航が行われており、密航朝鮮人が検挙されている。 大阪朝日新聞の取材によれば、遠賀工業所で雇われていた朝鮮人鉱夫は高待遇で雇用されていた。一方で旅費負担や高賃金などを謳った甘言募集に乗せられ、低賃金の中で宿代や食費など様々な名目で天引きされ、実際に自由に使える金額はほとんど無かったとする主張もある。 1944年9月から1945年3月にかけては国民徴用令により徴用された朝鮮人が渡航した。 1951年に講和条約が締結され連合軍による占領が終了すると日本に在留していた朝鮮人は朝鮮籍となり、1948年に建国された韓国の国籍を取得する者もいた。朝鮮から渡航した人々の多くが九州、中国、近畿地方に在留していたため、戦後に韓国から密航した朝鮮人もこれらの地方に住む場合が多かった。これらの朝鮮人は在日韓国・朝鮮人となった。 在日1世2世の中には朝鮮総督府による土地調査事業や日本軍などによる食料の収奪(徴用・供出)などにより生活に困窮し、日本に来たのだと主張する者もいる。
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