創刊時
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第二次世界大戦が終わった翌年の1946年5月18日、合資会社「日米時事新聞社」(英語名はNichibei Times)としてサンフランシスコ市で創立した。発起人は日本人と日系二世の計6人(元日米新聞編集長・浅野七之助、英文欄担当・安孫子恭雄、会計担当・小林二男、印刷発送担当・川岡一美、文選組版担当・梅津孜、元出版業・池田貫造)で、初代社長は、戦前に日米新聞(本社サンフランシスコ)で編集長を務めていた浅野七之助。 戦中に米国政府によって日系人強制収容所に監禁され、土地や財産を奪われた在米日本人と日系二世のコミュニティー復興を支えるのが発行の主な目的だった。 サター通り1763番地にあったサンフランシスコ日本町の元・佐野日本語学院校舎を借り受けて自社印刷機で製作、印刷を行った。鉛活字はすでに使われていなかった印刷会社のものを買い取った。創刊時は全4ページで、週3日発行だった。 1947年にはエディーストリート1375番地のれんが造り2階建てガレージを購入し、株式会社へ移行した。資本金10万ドルで株主を募集したが、新聞の自主独立と言論の自由を確保するため、購入できる株は1人1千ドルを超えないとする方針が採られた。 創刊3か月目には週5日発行の日刊新聞に移行。ページ数は多少の増減があるが、おおむね全8ページ(日本語6ページ、英語2ページ)だった。日本語ページには日本人渡米者(日系1世)向けの記事として、日米の一般ニュース、日系人関係のニュース、コミュニティーの行事や話題を掲載した。英語ページには日系2世以降の米国人向けに、日系人関係のニュースを中心に掲載した。 新聞の発行と同時に企業の名刺、ちらし、領収書等の印刷事業収入で経営を支えた。
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