日系二世とは? わかりやすく解説

二世 (日系人)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 03:11 UTC 版)

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二世(にせい)とは、北アメリカ南アメリカオーストラリアなどで使われた、最初に各々の国に移住したいわゆる「一世」を親とする世代の日本人日系人)を表す日本語である。その一世の孫世代ないし二世の子供達は「三世」と称される。

各国の実情

最初に行われた日本人の組織的移住は、1897年に35人がメキシコへ渡った「榎本移民」とされているが[1]、特に多くの日本人移民並びにその子孫が住んでいるのは、ブラジルアメリカ合衆国カナダペルーとされている。

ブラジル

1908年笠戸丸に乗ってブラジルに到着した初の日本人移民

ブラジルでは、日系人以外のブラジル人と結婚して生まれた者も含めると、約150万人にも及ぶ日系人がいると言われ[2]、世界で最も多い日系人の人口を有しており、その多くがブラジル社会において要職を占めるようになっている。

アメリカ

強制収容所に連行される日系人
日系人により編成され、ヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦った第442連隊戦闘団
フレッド・コレマツが受章した大統領自由勲章

アメリカにおける二世の一部は、第二次世界大戦後のベビーブームの際に生まれた。しかし、大戦期に西海岸に在住していた大部分の二世達は、大統領令9066号の発令に伴い、両親や子供たちとともに強制的に立ち退かされ、内陸部の強制収容所に抑留された。若干の意識において三世達は、「内に秘めた」アメリカ人である彼らの両親と、自身の「文字通り」のアメリカ人というアイデンティティの間でジレンマを感じていた[3]。同じ二世でも、ハワイ居住者は幾分か違う経験をしていた。日系人からの質問を受けた東條英機首相は、日系人に対してアメリカ人としてアメリカの為に戦うべきであると手紙で応えている[4]。また、松岡洋右元外務大臣も日系人はアメリカの為に戦うべきであるとした講演を、戦前にハワイで行っている[4]

抑留された二世達は、その多くがアメリカ軍に志願して、第442連隊戦闘団としてアメリカ軍で最も多く勲章を授与されるほどの忠誠を見せた[4]。それ以外にも、同じく二世を中心として構成された語学要員部隊である陸軍情報部(MIS)は、大戦末期の沖縄戦における戦闘期間の短縮や犠牲者の増加を食い止めることに貢献し、2000年4月に陸軍からアメリカ合衆国大統領感状を授与された[5]2010年10月にはオバマ大統領が、442連隊とMISにアメリカ合衆国において最高位の勲章である議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名した[6]

アメリカにおける代表的な二世はダニエル・イノウエ(日本名:井上建)とフレッド・コレマツ(日本名:是松豊三郎)とされているが、すべての二世の個々の生活史は、手短に述べることのできるものではなく、複雑な経験が累積して作り上げられたものである。ハワイ出身のイノウエは、1943年に442連隊に自発的に志願した二世の一人であり、カリフォルニア出身のコレマツは、大戦期の強制収容に抵抗した西海岸に住む日系人の一人であった。

1998年にコレマツは、アメリカにおける文民向けの最高位の勲章である大統領自由勲章を受章した。1944年に、最高裁判所ルーズベルト大統領の強制収容の正当性を支持し、コレマツの訴えを却下したものの、1983年に再審が認められ、結果戦時中に受けた有罪判決は無効となり、コレマツの潔白が証明されることとなった。ホワイトハウスにおいて執り行われた勲章を授与するための式典において、クリントン大統領は「我が国の正義を希求する長い歴史の中で、多くの魂のために闘った市民の名が輝いています。プレッシーブラウンパークス…。その栄光の人々の列に、今日、フレッド・コレマツという名が新たに刻まれたのです」と述べた[7]

日系アメリカ人の大部分は、政府による抑留命令を抵抗することなく受け入れ、そのことによって、国家に対して忠実なアメリカ人であることを証明しようと考えた。コレマツの抵抗は、そんな彼らからは、国家と日系人社会に対する裏切りとしか捉えられなかった。戦後しばらくの間も、コレマツは裏切り者と見られていたが、最終的には英雄と見做されるようになった[8]

カナダ

ペルー

文化

世代

日系人コミュニティでは、それぞれの世代を示し、区別するために、日本の数字と世代を表す「世」を組み合わせて、「一世(Issei)」「二世(Nisei)」「三世(Sansei)」「四世(Yonsei)」「五世(Gosei)」といった用語が使われている。一世・二世・三世は、権利、日本への帰属意識、宗教的信条並びに儀式、その他重要な事柄において、明確に異なる姿勢を示している。彼らが戦時下における強制立ち退きと抑留に直面していた時代は、彼らの経験や態度、および行動様式におけるこれらの変化を説明するうえで、最も重要な要素の一つである[9]

「日系(Nikkei)」という単語は、社会学者の多国籍グループによって考案されたもので、その範囲は世界中に住む当該国の国籍を持ち、かつ日本人の血を引く全ての人間を含んでいるとされている[10]。一世と二世の中でも上の世代の者の集合的記憶は、1870年から1911年にかけての明治時代の日本のイメージであり、それは後から来た移民達が自分達より遅く去った日本に対するイメージとは明確に対照をなすものだった[11]。双方の日本への異なる姿勢や社会的価値観は、しばしば両者の間に摩擦を生じさせ、第二次世界大戦後も双方の溝が埋まることはなかった。

1988年8月10日に、レーガン大統領が「市民の自由法」(通称:日系アメリカ人補償法)に署名してからは、北米の日系人社会では二世と彼らの親並びに子供達の間で、自身の帰属意識や非日系人への適応のやり方に対して、大きな変化が見られるようになった[12]

現在、イギリスにはロンドンを主として10万人を超える日系イギリス人が現在いるが、世界の各地で見られる日系人のようなものではなく、イギリス人は伝統的に日本人社会を一世、二世、三世というように総括した呼び方はしていない[13]

二世

日本で生まれた後に海外へ移住し、彼らを親とする世代の人間は、「二世(nisei)」と呼ばれている。二世は、著しい居住地域の拡散化に晒されることとなった。彼らは、自身の日本的な対人関係の様式を維持する傾向があったことから、多数派社会に吸収されることに消極的だった。二世のこれらの資質は、彼らの子供達である三世にも引き継がれることとなった。

大部分の二世は、個人主義や市民権といった西洋の価値を教えられる、アメリカ及びカナダの学校制度の中で教育を受けた。だが1940年代初期になると、二世は強制的な立ち退きと抑留を受け入れなければならないという、大きな困難に直面することとなった。年長の二世は、一世と類似した経済及び社会的な特徴を共有し、より強く彼らに共鳴する傾向があった[9]。中小企業での仕事や農業、漁業、または半熟練の職業に就いていた年長の二世は、戦後もブルーカラーの仕事にとどまる傾向があった[9][11]。対照的に若い二世は、大学を卒業し、戦後はホワイトカラーなど様々な職業に就いた[11]。戦後の機会と経験におけるはっきりとした分裂は、二世の間にある格差を悪化させるものとなった。

帰米・帰加・帰伯

二世の中でも、アメリカ・カナダ・ブラジルで生まれ、日本で教育を受けた後、再び各々の国に帰った者を「帰米(kibei)二世」「帰加(kika)二世」「帰伯(kihaku)二世」と呼ぶ。日本に送られた主な理由としては、日本の文化や日本語を忘れて欲しくない、という日本で生まれ育った一世である親達の意向によるものだった[14]

その中でも戦前にアメリカに戻った帰米二世達は、日本語が堪能な反面、英語は上手く話せないといった問題に直面し、アメリカ社会への適応に手間取っただけではなく、日米開戦後は教育を受けた日本への忠誠心と、「自分はアメリカ人である」というアイデンティティの間に板挟みになる、といった苦悩に直面した者が多く[15]、忠誠登録の核となった質問27・28には「No-No」と答えた割合が、アメリカで生まれ育った二世に比べて多かったという。その一方で、一般的な二世の多くが日本語能力が十分でない中、日本で教育を受けたことによって得た、難読漢字の入り混じった軍事文書を読めるなど、帰米ならではの高い日本語能力が重宝され、MISに日本語教員や語学兵として配属されたというケースが多かったという[16][17]。一方で、帰米二世のなかでも様々な理由で日米開戦後も日本に残り続けた者達は、日本人として学徒出陣によって自身の祖国であるアメリカと戦わざるを得ない状況に置かれてしまうこととなり、MISのメンバーの中には「兄弟が別れ別れになり戦った」という者もいたという[18][19]

言語

日本生まれの一世は彼らの母国語として日本語を学び、第二言語として英語を学ぶことに成功するかは、人それぞれだった。殆どの二世は、一世である両親や日本語学校、日本人コミュニティや強制収容所での生活を通じて、ある程度の日本語を話せるようになった。英語圏の二世の大多数は、少なくとも会話という形式で、日本語に関する知識を保持していた。殆どの三世は、自身の母国語として英語を話している[11]

関連項目

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ Japan-Brazil Relations
  3. ^ Miyoshi, Nobu. (1978). "Identity Crisis of the Sansei and the Concentration Camp," NIMH Grant No. 1 R13 MH25655-01.
  4. ^ a b c ドキュメンタリー映画『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』
    【ニュースの読み方】日系人442連隊とは何か?[桜H22/12/15]”. 日本文化チャンネル桜 (2010年12月14日). 2011年1月5日閲覧。
  5. ^ 日系部隊の歴史 -最新号特集- 日本語によるロサンゼルス&サンディエゴ現地情報 -ライトハウス-
  6. ^ 鳥海美朗 (2010年11月27日). “色褪せない日系2世の勲章”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/life/news/110114/art11011419340039-n1.htm 2011年2月8日閲覧。 
  7. ^ 日系人強制収容の不当性を訴えた闘士86歳で逝去 -JanJanニュース-
  8. ^ Bai, Matt. "He Said No to Internment," New York Times. December 25, 2005.
  9. ^ a b c McLellan, Janet. (1999). Many Petals of the Lotus: Five Asian Buddhist Communities in Toronto, 36ページ
  10. ^ "What is Nikkei?" Japanese American National Museum.
  11. ^ a b c d McLellan, p. 37.
  12. ^ [2]
  13. ^ [3]
  14. ^ 在日コリアンの各世代のコード切り替えの差異について
  15. ^ [4]
  16. ^ ある日系アメリカ人帰米二世画家の口述生活史
  17. ^ 「静かな戦士たちに捧ぐ…」(その3) Archived 2012年7月12日, at Archive.is
  18. ^ 映画442【MIS、映画『442』製作の裏話 】#7
  19. ^ フジテレビ系列2011年8月13日放送「土曜プレミアム 終戦記念特番『最後の絆 沖縄 引き裂かれた兄弟 ~鉄血勤皇隊と日系アメリカ兵の真実~』」

外部リンク


日系二世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:05 UTC 版)

山河燃ゆ」の記事における「日系二世」の解説

天羽賢治松本幸四郎 主人公日系2世アメリカ出身だが大学まで日本教育受けたいわゆる「帰米」。恋人もいたが、移民として差別受けたアメリカ強制送還されてしまった。アメリカ帰国後新聞社勤務するが、執筆内容元にFBI逮捕される憂き目に遭う日系人収容所では中立的立場をとるが通訳として軍に志願しフィリピン戦線で弟の忠と対峙する東京裁判通訳モニターをするが裁判疑問抱き日米双方架け橋になろうとして苦しみ自殺する日本人三島典子日系人エミー井本梛子から思いを寄せられる二枚目設定となっている。原作とかなり異なり中立的で「アメリカ人だが心の中日本人だ」と繰り返し話し合い希望するかなえられない。軍に志願する時は日本人と銃を構えることは強く拒否する。平和を訴え制作側の代弁者になっている天羽忠西田敏行 賢治の次弟日系2世アメリカで生まれ教育を受けるが、柔道浪曲好み日本親しみ強く持つ。一般日本人同等、またはそれ以上に「祖国日本」の意識高く愛国心を持つ。柔道全日本選手権ロサンゼルス代表として来日しそのまま賢治の反対押し切り日本に残る。三島典子の賢治への思い知り当時日本人渡航禁止されていたアメリカの賢治のもとへ典子連れて行くため偽装結婚をし典子アメリカ行きの船に乗るも、太平洋戦争開戦のため船は日本に引き返すそのまま徴兵され、迷うことなくアメリカ国籍棄てる戦場で兄賢治と対峙し、負傷する。そのために一時賢治を嫌悪するが、梛子に諭され仲直りする戦後日本米軍闇物資を利用した物流会社経営し大成功収めるチャーリー田宮沢田研二 賢治の友人二世。はっきりアメリカ人として生きる人物。賢治とはエミー梛子取り合う恋敵でもある。開戦前放送局勤め日本貧しさ不潔さを嫌う。梛子結婚後、収容所では米側の手先となり、日系人管理をし、FBIスパイとなる。米国政府不満を言う日系人から「バナナ」(外見黄色人種だが、中身白人であるという意味)と揶揄され殺されそうになる逃れ米軍将校のし上がるものの、ふとついた嘘をきっかけ梛子離婚する戦後GHQ将校として白人指揮する立場に立ち、日本人から白い目見られながらも天皇陛下拝謁した途端、掌返し英雄視され、日本の華族の娘との再婚持ち上がる。その迎えに行く道すがら軍服着ていなかったため日本人勘違いされ暴漢刺される。賢治とは逆に「心はアメリカ人だが外見を見繕わない限り自分日本人にしか見られない」と悟りながら死んでいく。 井本田宮梛子島田陽子 賢治の幼友達ハイスクール先生。賢治に恋心告白したが、賢治から別の人(典子)がアメリカに来るのを待っていると言われ失恋収容所収監前にチャーリー結婚しミネアポリス引っ越す。チャーリー考え行動不信抱き離婚その後父と共に戦時交換船で父の故郷広島帰るが、広島駅原爆にあう。のちに白血病発症し危篤の中賢治が病床到着する直前亡くなる。 畑中天羽エミー多岐川裕美 賢治の妻。幼友達だが親の勧めで賢治と結婚し一男をもうける。賢治の出征中に身を寄せていたリトル東京実家付近白人浮浪者強姦され、以後アルコール中毒となる。戦後息子連れて日本で賢治とともに晴れて家族3人で生活を開始するも、過去トラウマや賢治と梛子の仲に疑い持ち、更にアルコール依存するうになるその後、賢治の必死努力アルコール中毒克服東京裁判終了後家族3人の再出発信じ、賢治に見送られながら一足先に息子と共にアメリカ帰国するが、賢治の決断知らぬまま未亡人となった天羽アーサー岡田二三 賢治の子供。 天羽乙七三船敏郎 賢治の父、1世鹿児島県郷士の7男だったが移民として渡米農場働いた後、ロサンゼルスリトル東京クリーニング店出店する1度祖国日本への家族揃って帰国考えるも、息子の賢治が日本強制退去させられていたことを後で知り日本に対して激怒帰国取り止める大統領令9066号により店を失いカリフォルニア州のマンザナール収容所送られ、自らの意思遺体処理仕事に就く。米国忠誠を誓う質問に対してNoと答えツールレイク収容所送られる戦後クリーニング店再建天羽テル津島恵子 賢治の母、1世写真花嫁により日本から乙七に嫁いだ鹿児島弁がなごやか。どんな苦境に立たされても、家族励まし温かく見守る天羽勇堤大二郎 賢治の末弟日系2世何の疑問もなく自分アメリカ人と言い日本大事にする父親非難する白人友人も多い。マンザナール収容所から第442連隊戦闘団志願欧州戦線聴覚を失うが、ガールフレンド家族理解協力平和な日常取り戻していく。戦後クリーニング店手伝い実家後継者になる。 天羽春子柏原芳恵 賢治の妹。明る性格で、家族マスコット存在。歌が上手く収容所では歌の女王選ばれるツールレイク収容所父母同行するケニー松原池部良 第一次大戦参加したハワイ二世収容所では民主主義原則市民としての権利要求し告発文を書き抗議先頭に立つが撃ち殺されるマイケル城山高橋長英 収容所インフォメーションの長、米側にべったり人物池島努:樋浦勉 ターミナル島の漁師2世収容所では反抗グループ代表者として行動逮捕される井本広子かとうかずこ 梛子の妹。父と姉が日本に帰国する中、ひとりアメリカ残り看護婦となる。戦後看護婦として広島赴任、姉の死を看取るマリー田宮田宮万里子):手塚理美 チャーリーの妹。父の死期に母親戦争前日本に帰国日本では三島啓介恋仲になり共に逃亡する特高警察に捕まる。東京ローズのような米軍向け謀略ラジオ放送アナウンサーになる。 畑中万作山田吾一 エミーの父。リトル東京ではホテル経営、乙七の友人畑中定代塩沢とき エミーの母。エミーを賢治と結婚させる井本虎造大木実 梛子の父。尺八愛好し日本懐かし戦時交換船広島帰国初日歓迎されるが、食糧不足で「自分たちの食べる量が減っただけ」と周り冷たくされ始め失意暮れ内原爆弾死亡。 マリアン・オルソン:ヒロコ・グレース 勇の恋人兵士になる前から親しく戦後戦争聴力失った勇と結婚する田宮平九郎奥野匡 チャーリーの父。リトル東京では成功したが、恨み買われ殺害される。乙七たちから汗水垂らして働こうとしないからだ」と同情されなかった。 田宮カヨ原知佐子 チャーリーの母。夫の事件警察差別による無気力捜査アメリカ嫌になり帰国する池島よね:初井言榮 池島努の母。息子返してくれと泣く松井竹虎内藤武敏 賢治と椰子勤めていた加州新報編集長開戦後FBI逮捕される戦後編集長復帰するシグ木村桑原たけし ジョー北川藤田宗久 ジロー武藤にしきのあきら ミネアポリス日本語学校教官チャーリー密告により日本語学校解雇されるオーソン相川村井国夫 ジョン阿川佐藤尚宏 天羽賢治教え子日本兵説得中に狙撃され戦死

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