リトル・トーキョー
(リトル東京 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 23:33 UTC 版)
リトル・トーキョー(英: Little Tokyo)は、ロサンゼルスのダウンタウン内にあるアメリカ最大の日本人街の通称である。「Lil' Tokyo」、「小東京」などとも呼ばれている。転じて、日本国外にある日本人街全般のことを指すこともある。
- ^ National Park Service (15 April 2008). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.
{{cite web}}
: Cite webテンプレートでは|access-date=
引数が必須です。 (説明) - ^ Dr. James B. Gardner (1979) and revised by James H. Charleton (7 May 1993). "National Historic Landmark Designation Nomination: Little Tokyo Historic District" (PDF). National Park Service.
{{cite web}}
: Cite webテンプレートでは|access-date=
引数が必須です。 (説明) - ^ "National Historic Landmarks Program: Little Tokyo Historic District". National Park Service. 2011年6月21日閲覧。
- ^ 桑港在留の邦人『新聞集成明治編年史. 第五卷』 (林泉社, 1940)
- ^ 石毛, 直道; 小山, 修三; 山口, 昌伴; 栄久庵, 祥二 (1985), ロスアンジェルスの日本料理店―その文化人類学的研究, ドメス出版, pp. 28-33 (Wank et al. (2015)、第5章で引用。)
- ^ 中町泰子「日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容」『年報非文字資料研究』第5号、神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター、2009年3月、173-186頁、ISSN 18839169、NAID 120006603626。
- ^ 『北米踏査大観. 上巻(加州日本人発展地之部)』柏村桂谷 (一介) 著 (竜文堂, 1911)
- ^ 日系移民 S. John Nitta 氏からの聴き取りインタビュー “Downtown: The Old Meets the New”. Los Angeles Times. (1971年10月10日)
- ^ 住所録に掲載: 新世界朝日年鑑, Los Angeles: New World Sun, (1939), p. 435(p. 535と誤植)
- ^ Smith (2012), p. 93.
- ^ Issenberg (2007), p. 80.
- '^ Smith (2013), 3, p. 885.
- ^ Issenberg (2007), p. 88.
- ^ Corson (2008), pp. 45–46.
- ^ Al-Jamie, Anthony (2013年5月15日). “The Man Who Brought Sushi to America”. 2017年3月30日閲覧。
- ^ “甲佐町の文化財探訪「甲佐町の先人 甲斐政次郎」~令和3年9月号”. 甲佐町. 2023年11月22日閲覧。
- ^ “Southern California Flower Market: A Japanese American Business Blooms” (英語). PBS SoCal (2012年8月1日). 2023年11月22日閲覧。
リトル東京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:39 UTC 版)
漢江の岸辺にある龍山区二村洞(イチョンドン)はソウル在住日本人、特に駐在員が数多く住む地域であり、「ソウルのリトル東京」とも呼ばれる。通常この地域は東部二村洞(トンブイチョンドン)と呼ぶ。二村駅が最寄駅。 北には在韓アメリカ軍の龍山(ヨンサン)基地が広がり、ソウル中心部とは比較的孤立した地域で静かな高級団地が数多くある。もともと米軍基地が近かったことから二村洞付近には外国人居住者が多かったが、日本人の居住は日韓国交正常化以降、特に1970年代に入り企業駐在員や日本大使館員などが住み始めた。但し、もともと日本統治時代から日本人が多く居住していたのはこの地域である。上記アメリカ軍基地ももともとは旧日本陸軍の朝鮮軍司令部をそのまま転用したものであり、この地域には日本統治時代の日本風建物が今なお多く存在している。 外国人が居住することから不動産価格が高騰し、敷金が殆どない場合では同地域の団地の入居には最も安くても家賃が1ヶ月200万ウォンをくだらない。日本の食材を売る日本人向けの各種商店はもちろん、居酒屋、銀行には日本人専用窓口があり、幼稚園には日本人クラスまである(ただし日本人専用窓口は二村洞が初めてではなく、最も早くできたのは旧ソウル銀行(後にハナ銀行に合併)鍾路5街支店である。二村洞にあるものはこれを真似た。)。 最近では、ソウル日本人学校のある開浦洞周辺などの江南地区や政府中央庁舎付近の再開発地区など、日本人が特定の地域にまとまって住むということはなくなりつつある。
※この「リトル東京」の解説は、「ソウル特別市」の解説の一部です。
「リトル東京」を含む「ソウル特別市」の記事については、「ソウル特別市」の概要を参照ください。
- リトル東京のページへのリンク