リトル社
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「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「リトル社」の解説
詳細は「リトル・モーター・カー・カンパニー」を参照 1911年の夏ごろには、デュラントは、フリントの友人たちを訪ね後にシボレーとなる新会社への出資を説き廻っていた。フリント・ワゴン・ワークス(FWW)の経営者たちは7年前のビュイックの記憶から、デュラントがもたらしてくれるであろう新たな機会に意欲を示した。FWWの新社長チャールズ・ベゴーレ(CM Begole)と会計担当バレンジャーの具体案(1911年9月13日)により、1911年10月12日にフリント・ワゴン・ワークス(FWW)を負債引受を条件として10ドルで買収した。この負債への充当としてベゴーレとバレンジャー個人からリトル社が1200万ドルを借り入れているのがデュラントらしいやり方だった。 デュラントは、FWWの財産、商品、動産すべてを引き継いだ会社リトル・モーター・カー・カンパニー(Little Motor Car Company)を1911年10月30日に設立した。社長にはビュイック時代の工場総支配人ウィリアム・H・リトル(ビル・リトル)が就き、リトル、ベゴーレ、バレンジャーの三人が設立発起人となった。買収したFWW資産にはFWWが1909年にはじめた自動車部門ホワイティング・モーター・カー・カンパニーの資産も含まれていた。ホワイティングではWhiting 20を1909年秋から1911年6月末まで生産し、その改良型のWhiting 22を1912年型として1911年夏から生産していた。 リトル社設立当日に、リトル・フォーを発表した。セルフスターターと電気ライトがついて650ドルだった。この1912年型リトル・フォーはWhiting 22(ホワイティング・ラナバウト)のシャーシにフランス風の新型ボディを載せ洗練させたもので、組立は1912年1月からはじまり完成は4月となっていた。 1912年にはリトル社(メイソン社)でシボレークラシックシックスのほとんどを生産した。リトル社ではリトルシックスとして1285ドルで販売した。 デュラントは1913年6月10日にリトル社をシボレー社に吸収した。
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