シボレー・モーター・カンパニー(ミシガン)社
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「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「シボレー・モーター・カンパニー(ミシガン)社」の解説
「シボレー・モーター・カンパニー」も参照 「シボレー・モーター・カンパニーはデトロイトでスイス生まれのフランス人自動車技術者兼ビュイックレーサーであったルイス・シボレー設計の車を製作した」と一言で表されるが、事は単純ではなかった。シボレー・モーター・カンパニー(Chevrolet Motor Co.)となるのは1911年11月3日だったが、デュラントはそれ以前からフォードに対抗できる小型車を販売するという意図をもって地元フリントの人・モノ・金を活用した。そして、シボレーは成功し、その成功を武器としてGMに復帰した。 デュラントは以前から多くの人を支援していた。その中のひとつにルイス・シボレーのプロジェクトもあった。デュラントはビュイックでシボレーやボブ・バーマンにより1908年から1910までにレースで500回ほども優勝トロフィーを獲得していた。一方、デュラントは個人としてもさまざまなプロジェクトを支援した。ルイス・シボレーもそのなかの一人で1909年にはルイスの作る車の設計とテストを支援していた。 1911年にはルイス・シボレーがエティエンヌ・プランシュ(M. Etienne Planche)を招き入れ、3月にはデトロイトのグランドリバーアベニューの2階建ての建物でシボレー車の開発を始めた。シボレー車の最初の設計は3月15日のプランシュの設計である。 デュラントとシボレーの2人の自動車に対する考えはかなり異なっていた。デュラントはT型フォードのような低価格の自動車を作りたいと思っていた。これをデュラントはリトル社ではじめていた。ルイス・シボレーはキャディラックのような高級車を作りたいと思っていた。デュラントはシボレーで、1911年3月に中級クラスの価格で高級車シボレー・クラシック・シックスを売り出した。これはライト・シックスとも呼ばれた。これが最初のシボレー車でありシェビーだった。 1911年11月3日、デュラントはシボレー・モーター・カンパニー(ミシガン)(Chevrolet Motor Company of Michigan)をミシガン州デトロイトに設立した。ルイス・シボレー、ウィリアム・リトル(ビル・リトル)、さらにRSマクローリンの友人で娘マージェリーの(最初の)夫となったエドウィン・キャンベル(Edwin Cambell)の3人が設立発起人となった。最初のシボレー車を設計したフランス人技術者プランシュも参加した。ドートも資金援助し役員になった。シボレーはそれまで試作車を4、5台製作していただけだった。当初(1911年8月から)フォード社のはす向かいのデトロイトのウエスト・グランド・ブルバードの敷地を購入し最新工場建設予定地と大きな看板を掲げデトロイトで話題となった。その後、経済的事情から実際の生産はフリントのメイソン・モータースでおこなわれ、デトロイトでの生産計画は実施されることなく最終的に敷地は売却された。 1912年9月にデュラント=ドート社がシボレー株主になった。1912年、6気筒車では最安の「リトル シックス」と「シボレー シックス」を作った。実際の生産は1912年後半からはじまり、2150ドル以上の価格で販売した。この年デュラントの会社は2999台を販売したが、ほとんどがリトル車だった。試作車を手作りした後、デトロイトを試走し、ルイスは1912年のほとんどを試作に費やしていた。5人乗りツーリングカーだけが生産された。
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