シボレー・モーター・カンパニー(デラウエア)
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「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「シボレー・モーター・カンパニー(デラウエア)」の解説
デュラントは1915年8月14日までの2年ですでに1万6千台のシボレー車を販売していた。 1915年9月13日(9月23日)、デュラントは『シボレー・モーター・カンパニー(デラウエア)(Chevrolet Motor Co. of Delaware)』を2000万ドルで設立した。シボレー・モーター・カンパニー(ミシガン)(Chevrolet Motor Company of Michigan)などシボレー企業群、およびデュラントがGM経営権を剥奪された後に設立した会社群を束ねるための持株会社だった。傘下企業には、スターリング・モーター・カンパニー(Sterling Motor Company)、モンロー・モーター・カンパニー(Monroe Motor Company )などがあった。そして、これがデュラントが乗って戦うための馬となった。12月には8000万ドルに増資。すべて普通株式だった。1916年1月26日までGM株1株とシボレー株5株を交換すると発表した。 この会社が3年も経たずにGMの株を保有する親会社となり、1918年5月にデュラントはシボレーをGMに合併させる。登記上は『シボレー社がGMに吸収される形での合併』だったが、実質は『シボレー社にGMを吸収合併させたもの』で、本社機能はデラウェアのシボレー本社に移転したものとなる。 一方カナダでは、マクローリン・モーター・カー・カンパニー(McLaughlin Motor Car Company)でマクローリン=ビュイック車を販売していたデュラントの生涯の友人、RSマクローリン("Colonel Sam" McLaughlin)が、シボレーに理解を示し、カナダでシボレー・モーター・カー・カンパニー・オブ・カナダを設立してカナダでのシボレー車生産を開始した。この会社も3年後にGMが買収しGMカナダとなる。
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