GM外での起業とシボレーによる逆買収
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「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「GM外での起業とシボレーによる逆買収」の解説
デュラントは自動車産業の舞台から降りなかった。GM経営に手を出せなくなったがデュラントはGMバイスプレジデントの立場は不変で、またGMの主要株主でもありつづけられた。しかも、これに満足することなく、1910年末から1914年にかけて、個人として数々の自動車会社をGMとは別に創業した。新規事業は銀行管理下のGMでは行うことができなかったことも理由のひとつだったが、これがデュラントのGM復権に大きな役割を果たした。 デュラントの創業した会社にはメイソン・モーター・カンパニー(Mason Motor Company)、リトル・モーター・カンパニー(Little Motor Company)、シボレー・モーター・カンパニー・オブ・ミシガン(Chevrolet Motor Company of Michigan)、リパブリック・モーター・カンパニー(Republic Motor Company)、スターリング・モーター・カンパニー(Sterling Motor Company)、モンロー・モーター・カンパニー(Monroe Motor Company)、シボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェアがある。デュラントは自身のGM株を売却して資金を得ることも、また、GM株を購入することも自由にできた。デュポンと組んでシボレー・モーター・カンパニー・オブ・デラウェアをGMの親会社とした。GM外でのデュラントの活動は他のGM経営陣にもオープンにされており、GM経営陣はGMに対する脅威と見ることなくデュラントの活動を容認していた。デュラントは一連の活動を最後はシボレー社に集約しこれをテコに銀行の5年間のGM管理が切れるタイミングに狙いを定めてGMへの復活を果たした。
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