GM入社断念、セガ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:19 UTC 版)
「入交昭一郎」の記事における「GM入社断念、セガ時代」の解説
1993年の年明け早々、当時欧州GM社長だったルー・ヒューズが来日し入交に接触。入交に欧州GM入りを打診する。その後交渉は順調に進み、GMの国際事業を統括する「GMインターナショナル」の生産担当副社長兼GM本社の上級副社長に就任する方向で一度は話がまとまるが、正式契約に至る直前で友人の堀紘一(当時ボストンコンサルティンググループ社長)にGM入りを止められる。 その後堀が、当時のセガ社長の中山隼雄に入交のセガ入りを打診し、中山が快諾。入交はGM入りをあきらめてセガに入社する決断を下し、同年4月にEK型シビックのデザインを承認したのを最後に正式にホンダを退社し、6月にはセガの副社長に就任する。セガでは研究開発・生産部門を担当し、特に1996年に発売されたセガサターン用のゲームソフト「サクラ大戦」では製作総指揮・プロデューサー代表を務め、サクラ大戦をセガの一大人気シリーズに育て上げる。 1998年にはセガの社長に昇格。ドリームキャストの開発を指揮しプレイステーションに対する巻き返しを狙う。しかし結果は振るわず、2000年6月にはドリームキャストの国内販売不振などで決算が3年連続赤字になった責任を取る形で副会長となる。結局同年12月にはセガを退社。 セガ在職中の1999年には、米国の自動車部品メーカーであるデルファイ・オートモーティブ・システムズの社外取締役に就任している。
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