リバティナショナル銀行
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「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「リバティナショナル銀行」の解説
1923年8月30日ニューヨークにリバティナショナル銀行を設立すると発表。デュラントは投資家兼取締役会長に就いた。「同士による事業」というのがニューヨークのダウンタウンの野蛮な経済に対するデュラントの対抗だった。デュラントは自身が起こした銀行の会長となった。一株しか所有しない30万のパートナーで構成された銀行で社長と取締役会長は無給だった。その銀行は「借り入れに対する利率としての法的なレート」のみが銀行の収入とされた。しかも子会社関連会社には及ばなかった。つまり、一般人が経営する銀行としての計画だった。マンハッタン57番街の当時のブロードウェイにあったタイヤ/自動車ビルの近く(50 Broadway, 256 West 57th st.)に「リバティ・ナショナル・バンク」として設立した。 1927年10月には増資しブロードウェイ50番地にもオフィスを開いた。1929年の世界大恐慌ののちハリマンナショナル銀行(Harriman National)がハリマン1対リバティ180で買収合併した。ハリマンナショナル銀行は1933年に終了した。 デュラントの娘マージェリー(Mrs. Margery Durant Campbell,)はE. R. Campbellと結婚し、Campbellは1908年のGM創設、1911年リトル社シボレー社創設の際に設立発起人としてデュラントと活動をともにしていたが、マージェリーはCampbellと離婚し、1923年12月6日に、リバティ・ナショナル・バンクのバイスプレジデントのロバート・ウィリアムズ・ダニエル(Robert W. Daniel)(Robert Williams Daniel:1884-1940)と結婚し、ミセス・マージェリー・デュラント・ダニエル(Mrs. Margery Durant Daniel)となった。ともに再婚。ロバートは社長兼取締役会長となった。娘マージェリー・ランドルフ・ダニエル(Margery Randolph Daniel)を儲けた。1928年9月に離婚した。1928年のこの離婚の記事でタイム誌は、マージェリーをdaughter of famed Stock-marketeer W. C. Durant(著名な株式ブローカーであるWCデュラントの娘)と紹介している。ロバート・ウィリアムズ・ダニエルの先妻はタイタニック号沈没でウエストバージニア選出国会議員である夫を亡くし自身は救命ボートで救助された未亡人だった。(,,,) その後、マージェリーは1929年5月にJOHN H. COOPERと結婚した。
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