ロス疑惑
ロス疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:08 UTC 版)
1981年から「ロス疑惑(三浦事件)」の発端から捜査に参加。しかし当初ロス市警は、銃撃による強盗事件は日常茶飯事でもあり、被害者はアメリカ市民でない日本人観光客のため、本気で捜査しなかったといわれている。ジミーの積極果敢な捜査活動、スタンドプレーは、むしろ上司同僚から顰蹙を買い三浦事件から外された。 しかし日本を訪れてマスコミの熱狂的な取材競争と、過剰報道に煽られた日本の視聴者たちの昂奮を肌で感じたジミーは、「このままではロサンゼルスオリンピックを控え、アメリカは危険な犯罪国家と思われてしまいかねない」。また凶悪犯人を許さないという刑事としての正義感から、直属上司を飛び越し市警副本部長やロス地方検事局へ直訴、三浦事件に本腰を入れて捜査せよと関係者の説得に努めた。 こうして上司同僚の忠告を斥け捜査を続けたために、1984年に26年間務めたロス市警を退職した。野心が強く、とにかく主導権を握りたがり、日本のマスコミに盛んに情報をリークしていた形跡のあるジミーに、上司同僚の評判は非常に悪かったという。 1985年に、これまでの捜査データを揃えロス地方検事局の検事長に直訴。これが実り同検事局の捜査官(のちロス郡検察首席捜査官)に任命された。三浦事件の捜査再開を命じられ日本側、寺尾正大警視庁捜査第一課管理官(主任捜査官-当時)と史上最初の日米合同捜査を指揮することとなった。事件の情報交換などで度々来日。日系人捜査官ということで、日本でも注目されワイドショーなどにも多数出演した。 三浦事件の追及は1988年に、三浦和義の逮捕状を取るに至るが、アメリカで逮捕して起訴に持ち込むためには、日本から証人を何度も呼んで出廷させなければならず、それには膨大な予算がかかるため逮捕は見送られた。また被害者の遺族が日本で裁くことを望んだこともあり、日本側に引き渡すことになった。
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