日本での審理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:01 UTC 版)
マスコミの過剰な報道が続く中、同年9月11日に、警視庁は三浦をA殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕。同12日はBも同容疑で逮捕した。その後、三浦は1998年に釈放されるまで、13年間を拘置所で過ごした。殴打事件では、Bに懲役2年6ヶ月、三浦には懲役6年が確定した。有罪判決確定の4ヶ月前に釈放されたが、宮城刑務所に収監され、2年2ヶ月の間服役した。三浦が一連の事件で拘置所・刑務所にいたのは通算16年間であった。 殴打事件公判中の1988年10月20日に、三浦夫妻銃撃事件で殺人共謀犯として三浦とともに実行犯とされたガンマニアでロサンゼルス在住の駐車場経営者Cが銃刀法違反で別件逮捕された(その後、殺人容疑で再逮捕)。 銃撃事件の裁判では、東京地裁はCには犯行当日から前日で現場で目撃された車と似た白い車を「レンタカーの会社を忘れたとして素直に述べず、レンタル契約書の証拠を提示されて認める」など、レンタカーに関して隠したい意図が否定できないとする一方で、犯行で使用された車にはアンテナがついていない可能性が高いが、Cのレンタカーはアンテナがついていた可能性が高いことや、三浦と謀議する機会がほとんどなかったなどの有利な状況証拠が出たため、証拠不十分で殺人罪について無罪(別件の銃刀法違反等では懲役1年6ヶ月の有罪)、三浦には「動機を始めとした様々な状況証拠から、氏名不詳者と殺人の共謀をした」として無期懲役の判決が下った。 三浦は東京高裁に控訴。高裁では殴打事件後に共犯者探しともとれる行動や保険金目的での被害者への加害意思が読み取れること、「グリーンの車で来た2人組に襲われたが現場で確認された白い車に全く気づかなかった」という主張は虚偽供述の可能性が高いとする一方で、実行犯が特定できていないことから証拠不十分で逆転無罪となる。検察は無罪を不服として最高裁に上告するが、2003年3月5日に棄却され、銃撃事件の日本における三浦の無罪が確定した。 しかしこの時点では、すでに事件発生及びマスコミの報道が集中してからすでに20年近くが経過していた上に、当時ほとんどのマスコミが三浦を「犯人」と断定に近い形で報じていたため、以前のように大きく報道するマスコミは少なかった。また、3社の保険会社から返還訴訟を起こされる。訴訟では三浦が2社に全面敗訴し8000万円を返還し、1社は三浦と和解した(和解金額は公表されておらず不明)。
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