日本での宣教とマカオへの追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 21:12 UTC 版)
「ジョアン・マテウス・アダミ」の記事における「日本での宣教とマカオへの追放」の解説
1604年にジャンク船に乗りマカオから海を渡り、九州の大村で日本語の勉強を始める。1604年9月23日には日本において神学の学位を受けた。同年、キリスト教を棄教した領主の大村喜前によって他の神父と共に大村を追われ、大分の豊後高田教会へ身を寄せる。1607年から筑後の柳川(現・柳川市)の司祭館の主任司祭となり、そこで修道士の山(やま)ジョアンと出会い、日本語も上達し、山の協力を得て7年間を務める。1612年に江戸幕府が禁教令を布告したため、1614年11月に38歳でマカオに追放された。同じく山も追放され、マカオに流される。
※この「日本での宣教とマカオへの追放」の解説は、「ジョアン・マテウス・アダミ」の解説の一部です。
「日本での宣教とマカオへの追放」を含む「ジョアン・マテウス・アダミ」の記事については、「ジョアン・マテウス・アダミ」の概要を参照ください。
- 日本での宣教とマカオへの追放のページへのリンク