日本での実績とは? わかりやすく解説

日本での実績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 10:10 UTC 版)

ポール・モーリア」の記事における「日本での実績」の解説

日本においては1965年12月他アーティストシングル盤B面収録曲として「夜のメロディー」が初め発表(FL-1203)され、翌年5月発売された『超ステレオ! 魅惑のヨーロッパ・トップ・ヒッツ』(SFL-7284)、『赤いサラファン/永遠なロシア〜ポール・モーリア・ストリングス・ムード』(SFX-7052)の2アルバム以降1990年代はじめまで概ね年間2〜3枚ペースコンスタント新作アルバム発表シングル盤でも「恋はみずいろ」(1968年)、「蒼いノクターン」(1969年)、「エーゲ海の真珠」(1971年)、「涙のトッカータ」(1973年)、「オリーブの首飾り」(1975年)など立て続けヒット重ねたとりわけオリーブの首飾り」のヒット効果大きくベストアルバムとして発売された『ポール・モーリア グレイテスト・ヒッツ・リフレクション18』(FDX-7001)が1976年度のオリコン年間アルバムチャート21位に、『ポール・モーリア グレイテスト・ヒッツ24』(FDX-9201/2)が1977年度の同11位に記録されている。それ以前にもモーリア版「ヘイ・ジュード」がテレビドラマおふくろの味』のテーマ曲起用されたのをはじめとして1986年開始以来現在まで放送続いているTBS系ラジオ番組大沢悠里のゆうゆうワイド』(2016年4月9日からは『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』に変更)のテーマ曲として使用されている「はてしなき願い」 など、NHKラジオ第一放送民放のAM/FMラジオ番組、ほかにテレビ番組手品奇術BGMなどに多岐に渡ってモーリア演奏作品使用されている。 日本びいきとして知られ1976年国内11都市印象綴ったオリジナルアルバムポール・モーリア/ラブ・サウンズ・ジャーニー』(FDX-251)を発表1979年にはFM情報誌読者投票選ばれニューミュージック楽曲のカバー企画を、ジャケットデザイン森英恵起用したアルバム愛のメッセージ/ポール・モーリア』(FDX-465)として制作するほか、池田満寿夫監督日伊合作映画窓からローマが見える』の音楽担当する一方高田恭子の『あじさいいろの日々』(1974年キング BS-1799)の編曲伴奏録音来生たかおアルバムLABYRINTH』(キティ 28MS-0068)の編曲・プロデュースなどを手がけている。また、モーリア自作曲山中さち子(「カトリーヌ1970年セブンシーズ HIT-760)、真木ゆうこ(「さよなら街角1973年フィリップス FS-1765、原曲は「ただ一度だけ」)、来栖あんな(「私がふたりいる」1975年東芝EMI LTP-20204、原曲は「見知らぬ人」))や高橋キヨシ(「湖に消えた恋1976年フィリップス FS-2036)、坂本スミ子(「オー・ラ・ラ・オーサカ」1977年・同 FS-2040)らがカバーする例も見られた。1995年阪神・淡路大震災の際には「カルテット・フォー・神戸」を作曲しフランク・プゥルセルバイオリン)、フランシス・レイアコーディオン)、レイモン・ルフェーヴルフルート)との4人で「ザ・フォー・フレンチメン」名義録音、同曲が収録されたチャリティーアルバム(PCCY-00749)を制作するなどの活動知られている。さらに、1972年5月13日開催され第1回東京音楽祭ではゲスト審査員としてコンサート・ツアーとは別に来日しているほか、1978年4月から同年末まで東海ラジオ放送制作で自らの音楽観中心に語る番組ポール・モーリア世界』(パリ自宅収録)や対談番組『徹子の部屋』出演した1979年4月11日放送公演のための来日中に収録)。 1969年初来日して以来1970年1978年除いて1986年まで毎年その後1988年・1990年1996年・1997年1998年来日し約870回の公演開催1990年コンサートツアーをもって一度ステージ活動休止するが、パリでカテリーナ・ヴァレンテとのジョイントコンサート企画されたことが直接引き金となって急遽1996年1月末より約2週間に渡る来日公演実現同年11月には1 - 2月開催できなかった都市中心とした公演改め開催した1997年には公演直前になってモーリア体調崩して来日が遅れ、最初の3公演はジェラール・ガンビュスの実弟であるジル・ガンビュスが指揮することとなった。このことが1998年のジャパンツアーを「さよならコンサート」としたことに大きく影響した見られており、同年11月29日大阪フェスティバルホール公演以って自身オーケストラ公演活動での指揮退いている。2000年以降モーリア自身同行しないものの構成・演出および編曲など担当する形で公演活動再開、ジル・ガンビュス(2000年2002年2003年、2004年)、ジャン=ジャック・ジュスタフレ(2005年2009年)を指揮者として行われた。なお、公式ライブアルバム全て日本国内録音された。

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日本での実績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 04:33 UTC 版)

シタディス」の記事における「日本での実績」の解説

2017年現在シタディス日本での導入実績はないが、総合車両製作所2013年6月アルストムとの間でシタディス日本市場への参入への協力のための覚書締結しており、総合車両製作所ラインナップ加える事で積極的な営業活動展開していくとしている。

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