植松信一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 08:24 UTC 版)
植松 信一 うえまつ しんいち | |
---|---|
![]() (2010年 撮影) | |
生年月日 | 1954年1月13日(71歳) |
出生地 |
![]() |
出身校 | 東京大学法学部 |
称号 | 瑞宝重光章 |
在任期間 | 2010年 - 2011年 |
植松 信一(うえまつ しんいち、1954年(昭和29年)1月13日 - )は、日本の警察官僚。内閣情報官などを歴任。
人物
大分県出身[1]。東京大学法学部卒業。1977年警察庁入庁[1]。
1985年7月、警視庁国際刑事課警視だった植松は、捜査一課の中島修三警部補とともにロス疑惑捜査のため、LAに派遣され、LAPD(ロサンゼルス市警察)内でLA側の責任者たちと日米合同捜査会議を持った[2]。以降、ウィリアムス刑事を案内人として、2人は現地調査を展開。その猛烈ぶりは、のちに語り草となった[2]。
略歴
- 1977年 - 東京大学法学部卒業
- 1977年 - 警察庁入庁
- 1988年 - 警察庁警備局外事課理事官
- 1989年 - 在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官
- 1992年 - 警察庁警備局警備企画課理事官
- 1993年 - 警察庁警備局公安第二課警護室長
- 1995年 - 警察庁警備局公安第二課長
- 1998年 - 内閣官房内閣情報調査室内閣調査官
- 2001年 - 香川県警察本部長
- 2004年 - 警察庁警備局警備企画課長
- 2005年 - 警察大学校国際捜査研修所長
- 2006年 - 警察庁長官官房付(インドネシア国家警察アドバイザー)
- 2007年 - 警視庁公安部長
- 2008年 - 警視庁副総監
- 2009年 - 大阪府警察本部長[1]
- 2010年 - 内閣情報官[1]
- 2011年12月 - 内閣官房参与[3]
- 2012年1月 - 内閣官房参与退任[4]
- 2013年2月現在、世界政経調査会会長、三井住友銀行顧問。
- 2020年10月 - 原子力損害賠償・廃炉等支援機構副理事長[5]
- 2024年4月 - 瑞宝重光章受章[6]。
脚注
- ^ a b c d 共同通信社「内閣情報官に植松氏 三谷氏は退官」47NEWS、2010年3月26日。
- ^ a b 島田 1997, p. 260.
- ^ 「危機管理監と情報官が交代 人事前倒しで北朝鮮対応強化」日本経済新聞、2011年12月27日
- ^ 「内閣参与2人が退職 『更迭』は否定(インターネットアーカイブ)」MSN産経ニュース、2012年1月10日。
- ^ 独立行政法人等の役員に就いている退職公務員等の状況等の公表について原子力損害賠償・廃炉等支援機構
- ^ 『官報』号外第106号、令和6年4月30日
参考文献
- 島田荘司『三浦和義事件』角川書店、1997年11月。ISBN 978-4048730082。
- 小山善一郎・石丸陽編 『日本警察官僚総合名鑑』 新時代社、2005年。ISBN 4-7874-9105-9。
- 植松信一のページへのリンク