世界の「sushi」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:05 UTC 版)
長い鎖国が解かれ、明治になると移民として中南米や北米へと渡る者も多く、各地で日系人コミュニティが生まれた。アメリカ合衆国で最初の日本料理店「大和屋」がサンフランシスコに開店したのが1887年。ロサンゼルスでは、後にリトル東京と呼ばれる地域に日本食レストラン「見晴亭」が1893年に開店し、1903年に蕎麦屋、1905年には天ぷら屋、そして1906年には寿司屋が開店する。戦前のリトル東京の日本料理店は、主に最大数万人規模のコミュニティにまで膨れ上がった日系人のための食堂であった。しかし、第二次世界大戦でアメリカ合衆国と敵対国になったことにより、日系人コミュニティは強制収容という形で衰退してしまう。 その後、全国すし連合会会長・理事長を歴任した東京・青山大寿司総本店の大前錦次郎が、職人を連れての米国ワシントンD.C.での「全米桜祭り」での寿司の披露や、世界初の英文での寿司の専門書を出版するなどして、世界へ「Sushi」を広めた。 戦後のリトル東京の寿司屋は、しばらく1930年代に創業した稲荷寿司と巻き寿司、型抜きした酢飯に魚を乗せただけの寿司を提供する店一軒のみであった。アメリカ寿司ブームの仕掛人とされる共同貿易社長の金井紀年により、1962年にガラスのネタケースが海を渡り、老舗日本料理店「川福」の一角に本格的なカウンターを設えた「sushi bar」ができ、続いて「栄菊」、カリフォルニアロール発祥の店となる「東京会館」も、1965年にネタケースを設えて「sushi bar」は3軒となった。当初は寿司を食べる欧米人はほとんどいなかったが、1970年代に入ると徐々に欧米社会にも受け入れられ、1970年代後半には寿司ブームとも言われるほどに成長していった。しかし海藻を食べる習慣のない欧米人からは、海苔は黒い紙のように見え気持ち悪がられたため、酢飯で海苔とタネを巻く「裏巻き」と呼ばれるスタイルが流行することとなった。「すしバー」では江戸前寿司だけでなく、各店で独自にアレンジした料理も提供され、欧米では「すしバー」の名称が正統派の寿司店や寿司レストランを含む総称になりつつあるとも言われている。 ロサンゼルスで火のついた寿司ブームは、その後、日本の経済的進出も相まって、アメリカを中心とする世界各地に急速に広まった。1983年には、ニューヨークの寿司店「初花(Hatsuhana)」が、『ニューヨーク・タイムス』紙のレストラン評で最高の4ッ星を獲得しており、この頃までには高級フランス料理店に並ぶ評価を得る寿司店が出現するまでにイメージが転換していたことが窺える。現在、「スシ」は天ぷら、すき焼き等と並ぶ日本食を代表する食品になっており、日本国外の日本食レストランの多くでは寿司がメニューに含まれている。特に北米では人気があり、大都市では勿論、地方都市のスーパーマーケットですら寿司のパックや巻物が売られていることが珍しくない。 回転寿司は、気軽に食べられることやシステムの面白さなどで外国でも人気を得るようになったが、文化の違いから「正しい」楽しみ方はしていないと不満を感じる日本人もいる。 日本でも知られているカリフォルニアロール以外にも、世界各地の食文化と融合したスシ(sushi)が相次ぎ誕生している。メキシコのトルティーヤと組み合わせた「寿司タコス」「寿司ブリトー」、ハワイ料理風の「ポキ寿司ボウル」、魚や肉を避ける人向けに豆の粉を魚介類風に加工してネタとする「フェイク寿司」(香港)などである。 東南アジアのタイ王国では、スシ・レストラン以外に屋台街で販売されるようになっている。酢飯は甘めが好まれ、ネタは魚介類以外にピータンなどがのせられる。 世界各地のスシ・レストランには中国人、韓国人など日本人以外の経営・調理によるものが増加し、日本人による寿司店の割合は10パーセント以下とまで言われるほど減少している。そのため、日本の伝統的な寿司の調理法から大きく飛躍(あるいは逸脱)した調理法の料理までもが「スシ」として販売されるようになった。酢を合わせていない飯に魚や中国料理を乗せて「スシ」だと称するところまである。スシは人気のネタのマグロとサーモン程度しか提供せず、天ぷらやテリヤキ、丼物の方がメニュー数が多いような日本料理全般を扱う店も大々的にスシ屋を名乗っている。更にはご飯も魚介も関係なく、一つの食材の上に別の食材を置いた料理を「Sushi style」と称して客に提供する星付きレストランまで現れた。今ではSUSHIの単語を海外の街で頻繁に見かけるようになったが、本来の日本料理から大きく乖離したメニューを提供する店に遭遇することも多い。そのため日本の農林水産省は「正しい日本食を理解してもらうための日本食の評価」を日本国外の日本食店に行う計画を打ち出したが、欧米の一部には、これを新しい食文化の誕生を疎外するものであると批判的に見る向きもあった。日本でも、アメリカの新聞『ワシントン・ポスト』紙が2006年12月24日付け記事で用いた「スシ・ポリス(Sushi Police、スシ警察)がやってくる!」との表現が取り上げられた。このような反応を受けて農林水産省は認証制度の導入を止め、和食の国際的普及を目指す特定非営利活動法人(NPO)の「日本食レストラン海外普及推進機構(JRO)」が民間の立場から推奨店を決定する方式を取ることとした。 経済発展が著しい中華人民共和国、香港、台湾やロシアでも寿司ブームが起こった。元来これらの国では魚を生食する文化はなかったが、富裕層を中心に愛好家が増えている。日本人が寿司文化を世界に広めたために、今度は寿司種が世界市場で高騰すると言う現象が起きてしまっている。また、このように増大した寿司需要による生物資源の枯渇を避けるため、生態系にリスクを与えずに捕獲された魚介類や増産可能な方法で収穫された農産物を用いたサステナブル寿司(持続可能な寿司)の動きも2005年から米国で始められた。
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