プレッシー対ファーガソン裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/17 08:08 UTC 版)
プレッシー対ファーガソン裁判(プレッシーたいファーガソンさいばん、Plessy v. Ferguson)は、「分離すれど平等」の主義のもと公共施設での白人専用等の黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判。1890年に成立したルイジアナ州法で「黒人の血が1滴でもあれば」非白人とみなされ、鉄道車両が白人と別なことに不満を持ったホーマー・プレッシー(8分の7が欧州系、8分の1がアフリカ系,1925年に62歳で死去)は1892年、白人専用車両に乗り込み、移動を拒んだところ、逮捕されて有罪になった。法学上、画期的なアメリカ合衆国最高裁判所の判決となった。連邦最高裁判決は1896年5月18日に7対1の賛成多数によって下された。判決理由の主な見解はヘンリー・ビリングス・ブラウン判事によって書かれ、ジョン・マーシャル・ハーラン判事が反対意見を書いた。「分離すれど平等」の主義、白人と非白人を分離することに法的なお墨付きを与えた連邦最高裁判決であり、米国に大きな影響を与えた。58年後に1954年のブラウン対教育委員会裁判で最終的に否定されるまで、アメリカの標準的な主義として残った。その10年後に1964年公民権法が制定された[1]。
- ^ “130年前、白人専用車両に乗って有罪に… 元原告の男性に死後恩赦(朝日新聞デジタル)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2022年1月6日閲覧。
- 1 プレッシー対ファーガソン裁判とは
- 2 プレッシー対ファーガソン裁判の概要
- 3 判決
- 4 影響
プレッシー対ファーガソン裁判
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「分離すれども平等」の記事における「プレッシー対ファーガソン裁判」の解説
詳細は「プレッシー対ファーガソン裁判」を参照 南部の人種隔離において重要な焦点の一つは鉄道車両における白人と黒人の分離であった。その中でも特に重要だったのが1890年に可決されたルイジアナ州の隔離列車法(英語版)である。この背景にはルイジアナ州の特殊な事情があった。ルイジアナ州は南部諸州の中でも南北戦争前から自由身分の黒人が黒人人口の37パーセントを占めるという特殊な州であり、他の南部の州とは黒人の地位が若干異なっていた。そしてこの中には黒人と白人の1/2混血者(ムラトー)、1/4混血者(クアドルーン)、1/8混血者(オクトルーン)などの混血の「黒人」が多数含まれていた。オクトルーンはもはや外見上白人と区別できない場合が多く、教育機会にも恵まれ、白人としてのアイデンティティを持ち黒人を見下す者も多かった。しかし、隔離列車法はこのオクトルーンたちを「黒人」に貶めるものであり、現実生活においても公共施設の利用制限を課し、最終的には投票権の剥奪にすら繋がりかねないものであった。鉄道車両を白人専用のものと黒人専用のものにわける「分離すれども平等」な隔離列車法に対し、ルイジアナ州の黒人運動家たちはその違法性を裁判で訴え出た。 訴訟のために選ばれたのがオクトルーンのホーマー・プレッシー(英語版)である。彼の外見はほとんど白人であり、身のこなしも全く勤勉な白人そのものであったことがこの理由であった。1896年、彼はルイジアナ州のニューオーリンズ・コヴィングトン(英語版)間で白人専用車両に乗車した。列車の乗務員が客席で乗客の切符を集めた。プレッシーはこの乗務員に自分が7/8白人、1/8黒人であることを伝えると、彼はカラード専用車両に移動しなければならないことを伝えられた。プレッシーはカラード専用の席に座ることに憤慨し、すぐに逮捕された。 逮捕されてから1ヶ月後、プレッシーは法廷で判事ジョン・ハワード・ファーガソンの前に立った。プレッシーの弁護士、アルビオン・トゥルギー(Albion Tourgee)は憲法修正第13条と第14条が定めるプレッシーの権利が侵害されたと主張した。憲法修正第13条は奴隷制を撤廃し、第14条は万人に法の下の平等な保護を与えていたはずであった。この裁判はプレッシー対ファーガソン裁判(163 U.S. 537.)と呼ばれる。 プレッシー対ファーガソン裁判における最高裁判決は「分離すれども平等」の法原理を公式化した。この判決は「この州において普通客車(coaches)に乗客を乗せ運ぶ鉄道会社は、同等であるが分離された設備を白人と有色諸人種に提供すること」を要求した[信頼性要検証]。各列車で提供される設備は他の列車のものと同じである必要があり、分離された鉄道車両の運行は認められた。列車はこの規則を遵守することを拒否する乗客へのサービスを拒否することが可能であり、最高裁はこれが憲法修正第13条と第14条に背反しないと判決した。判決文では以下のように述べられている。 子供の教育施設を白人用と黒人用に分離して別々に設置する人種分離教育は、これまで黒人の政治的権利を最も熱心に保護・支援してきた州の裁判所によってさえも、各州がそれぞれ独自に定めることのできる正当な行為とみなされてきた。また、連邦政府の直轄地ワシントン特別区に対しては、連邦議会が同趣旨の人種分離教育法を定めている。この連邦法が道理に反するものでないとするなら、公共交通機関での人種分離を強制または是認する州法もまた、州の正当な立法権の行使として容認されねばならない。 このプレッシー(Plessy)の法原理は1899年のカミング対リッチモンド郡教育委員会裁判(英語版)(175 U.S. 528)で公立学校における適用も確認された。
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