初代社長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:55 UTC 版)
創業時の発起人代表であり初代社長を務めた石川芳次郎(1881-1969)は、電気技術者であり、京福電鉄社長などを務めた実業家。東京・日本橋の酒屋に生まれたが、父親の経営失敗で倒産したため、13歳で東京電灯神田発電所に奉公に出され、当時技師長だった藤岡市助に見込まれ、その下で働く。新設の静岡電灯に派遣され、技師長の小木虎次郎(のち京都帝大教授)が兼任していた名古屋電鉄に発電所技術員として17歳で移籍し、21歳で京都電灯に移籍。同社東九条発電所技手として働きながら同志社普通学校3年に編入し、23歳で第三高等学校、26歳で休職して京都帝国大学電気工学科に入学し29歳で卒業。 京都電灯に復帰し、欧米視察後同社取締役営業課長となって電気の一般普及に努め、32歳で小木虎次郎の娘と結婚、日本初の家庭電化の家と言われる井上亀之助(井上電機製作所社長、矢作水力監査役)邸に続き、電化生活を始める。60歳で同社副社長となり、62歳で京福電鉄社長就任。エジソン財団役員、京都市名誉市民。数十にのぼる公共団体・民間企業の役員も務めた。叙従五位銀杯、勲四等瑞宝章などを受章。長男の石川敬介は東大卒、京福電鉄専務(岳父に難波正)、長女の八千代はアルバック2代目社長井街仁の妻、三男の石川浩三は京大卒、アルバック副社長、ニッポンレンタカーサービス社長、五男の石川芳夫は日本航空開発社長。
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