襲撃実行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 00:48 UTC 版)
1942年5月27日、朝8時30分頃までに襲撃メンバーの4人は予定の待ち伏せ地点に到着し、それぞれの持場についていた。クビシュとガブチークはヘアピンカーブ内側の歩道で、オパールカは道路の反対側の全体を見渡せる地点で、バルチークはカーブから北方面に坂を登ったキルヒマイヤー通り沿いでハイドリヒを待ち受けていた。 ガブチークは組み立てたステンMk-II短機関銃をレインコートの中に隠し持ち、クビシュはガブチークより数ヤード下り坂側にいた。ハイドリヒはいつもならば9時30分頃に襲撃地点付近を通過する毎日だったが、その日はパネンスケー・プジェジャニの自宅出発が10時頃と遅くなっていた。アンソロポイドが待ち伏せている襲撃地点にハイドリヒは10時30分過ぎに現れた。車が右折カーブに差し掛かったところで、歩道から歩み出たガブチークがステン短機関銃を構えてハイドリヒに向けて発砲しようとしたが、装弾不良で銃からは弾が出なかった。ハイドリヒとクラインもガブチークの存在に気付き、ハイドリヒはクラインに停車するように命じてしまった。ハイドリヒとクラインはガブチークに反撃すべく自分たちの拳銃に手を掛けた。ガブチークが発砲しないのを見たクビシュは改造手榴弾をハイドリヒの車めがけて投げ込み、手榴弾は車の右後輪付近で爆発した。その破片は車の右後輪を破裂させ、右後部車体に穴が開くほど破壊した。同時にクビシュは、あまりにも近距離から手榴弾を投げたので、自分もその爆発で胸部と顔に軽傷を負ってしまった。クビシュは道路の反対側に置いてあった自分の自転車に乗り、キルヒマイヤー通りの坂を下りプラハ市街方面に向かって逃走した。 一方ガブチークは動作しなかったステン短機関銃を捨て逃走を始めようとしたが、ハイドリヒの車と同時にカーブに差し掛かかり停止した電車と、その電車から出てきた乗客に遮られて、自分の自転車が置いてある道路の反対側に渡ることが出来ず自転車で逃走する事を諦め、ハイドリヒの車が走ってきた方向(キルヒマイヤー通りをプラハ市街と反対の方向)に走って逃げることとなった。手榴弾の爆発で負傷したハイドリヒは、クラインに襲撃者の追跡を命じた。クラインは最初にクビシュを追いかけようとしたが、クビシュが自転車で逃げ去ってしまったので、徒歩で逆方向に逃げ出したガブチークの後を追った。ガブチークとクラインは拳銃を打ち合いながら追跡逃走劇を繰り広げ、ガブチークはキルヒマイヤー通りの坂を登り一本目の道(独名:Kolingarten. チェコ旧名称:Kolinske. 現在はGabcikova)を左に入り、そこを直進した二本目の通り(Pomezni)を左折したところにある肉屋(Brauner's)に逃げ込んだ。店主のBraunerはゲシュタポにも繋がりのあるドイツへの協力者だったので逆に店を飛び出し、追いかけてきたクラインにガブチークが店内に潜んでいる事を教えた。ここでの撃ち合いでガブチークはクラインの太腿に命中弾を与え、走れなくなったクラインを振り切って逃走することに成功した。一方、負傷したハイドリヒは通りかかったトラックに載せられて、襲撃現場から近くのブロフカ病院(Bulovka)に搬送された。
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