襲撃の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 15:27 UTC 版)
「スカーバラ、ハートルプールおよびウィトビー襲撃」の記事における「襲撃の影響」の解説
襲撃はイギリスの世論に甚大な影響を及ぼした。これは民間人を攻撃したドイツに集中する非難と、それを回避できなかったイギリス海軍に噴出した批判として表出する。この攻撃は、イギリスによる宣伝キャンペーン、「スカーバラを忘れるな(Remember Scarborough)」の一翼を担い、陸軍の募兵用ポスターに使用された。 最初に敵の迎撃に失敗した、ビーティー指揮下の軽巡洋艦部隊に対する非難は、その指揮官であったグッドイナフ代将に向けられた。しかし軍法会議への訴追という処分は、彼のこれまでの業績に鑑みて不適当であった。結局、批判の槍玉に挙がったのはラルフ・セイモア(Ralph Seymour)少佐が発した、支離滅裂な信号である。セイモアはビーティーの下、代将に留まり、同じ調子でドッガー・バンク海戦およびユトランド沖海戦で大きな犠牲を伴うミスを犯した。そしてイギリスの艦長たちには、勝ち目のある戦闘で離脱の命令を受け取ったらその命令を再度チェックするよう、新たな命令が出された。 この戦いでは、随所で双方が幸運にも逃げ切っている。ドイツの大洋艦隊はイギリス側の劣勢の戦隊をドッガーバンクで迎え撃つことに失敗した。イギリス海軍はこの敵艦隊を、遭遇戦から離脱した後でさえ精力的に追いかけるところであったが、接触の機会があった時に退いている。ヒッパーは、罠をしかけてきた戦隊を二つともかわした。彼の巡洋戦艦部隊が後にユトランド沖でビーティーの戦隊と相見えた時、より大きな被害を受けたのはビーティーの方である。ジェリコーは今後、同様の作戦に最初からグランド・フリートの総力を投じる決心をしたが、巡洋戦艦部隊は後の襲撃に備えて早期に動けるよう、ロサイスに移動させた。ヴィルヘルム2世は、機会を活かせなかった配下の提督たちを叱責したものの、インゲノールの判断に重要な影響を及ぼした、艦隊の使い方を制約する命令に変更を加えることはなかった。
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