襲撃に関与した人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:02 UTC 版)
金子孫二郎教孝(水戸浪士。郡奉行。首謀者。京への途上伊勢四日市にて捕縛、文久元年(1861年)斬罪。享年58) 高橋多一郎愛諸(水戸浪士。小姓頭取、矢倉奉行。首謀者。大坂にて自刃。享年47) 高橋庄左衛門諸恵(多一郎の長男。大坂にて自刃。享年19) 有村雄助兼武(薩摩浪士。次左衛門の兄。薩摩藩とのパイプ役。金子・佐藤と共に京に上る途上、薩摩藩兵により捕縛。切腹。享年26) 佐藤鉄三郎寛(水戸浪士。金子と共に伊勢四日市にて捕縛。追放刑。後に『佐寛筆記』を記した。1915年(大正4年)没。享年80) 川崎孫四郎健幹(水戸浪士。郡吏。大坂で連絡係。自刃。享年35) 小室治作(高橋に随行、自刃) 大貫多介則光(高橋に随行、捕縛後獄死。享年26) 山崎猟蔵恭礼(薩摩藩士との連絡役、捕縛後絶食死。享年33) 島男也竜雄(笠間藩士。高橋に随行、捕縛後1861年獄死。享年53) 小野寺慵斎(三春藩脱藩者。参謀の一人。変後の1860年5月より土浦藩で兵学を教えていたが1861年自刃。享年70) 宮田瀬兵衛(水戸藩士。変後に一味だと熊本藩 細川邸へに自訴、獄死。享年47) 木村権之衛門(水戸藩士。計画に参加、江戸で薩摩藩との連絡役。変には直接参加せず帰藩した。文久3年(1863年)3月26日死去。享年40)
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