襲撃による成果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:21 UTC 版)
モーガンとその部隊による大胆な襲撃の間に、北軍兵と州兵併せて6,000名を捕獲して釈放し、34の橋を破壊し、60箇所以上の鉄道を遮断し、数万名の北軍兵の任務を妨害した。その地域一帯に恐怖を広げ、地域の店、家および農園から数千ドルの価値がある物資、食糧などを奪った。この襲撃の時期はゲティスバーグ方面作戦や、ジョン・D・インボーデンの騎兵隊によるピッツバーグに向けた襲撃と時を同じくしていたので、当時の人々はモーガンの襲撃をオハイオ川の交易を脅かし北部に戦争を拡大するための協調行動の一部だと見なした。北部の人でモーガンの挙行が命令違反であり、ロバート・E・リーによるペンシルベニア州での同時期の動きに何の関係も無いと認識した者はほとんどいなかった[要出典]。 オハイオ州だけで約2,500頭の馬が盗まれ、4,375軒の家や事業所が襲撃された。モーガンの襲撃はオハイオ州の納税者に60万ドル近い損害を与え、地元の民兵隊587中隊に招集されたオハイオ人49,357人に支払われた給料は20万ドル以上に上った。 モーガン隊にとって、この長い襲撃はその最終的敗北と高い損失にも関わらず多くの成果を挙げた。バジル・デューク大佐は後に「襲撃の目的は成し遂げられた。ブラッグ将軍の撤退は敵の側面攻撃に悩まされなかったし、これら全ての事実を眺めた軍事関係者はこの遠征が東テネシーの陥落を数週間遅らせ、そうでなければチカマウガの戦いでローズクランズの援軍として参加したであろう部隊のタイムリーな到着を妨げたと思う」と記した。
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