東テネシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 17:09 UTC 版)
「アンブローズ・バーンサイド」の記事における「東テネシー」の解説
リンカーンはバーンサイドを軍隊から去らせることを望まず、オハイオ軍(第23軍団)と以前の第9軍団の指揮を任せた。ここでバーンサイドは、クレメント・ヴァランディガムのようなマムシ(戦争に反対した北部の民主党員)やジョン・ハント・モーガンのような南軍の襲撃者との対応を余儀なくされた。ノックスビル方面作戦で、バーンサイドはノックスビルまで侵攻したが、北軍のウィリアム・ローズクランズ少将がチカマウガの戦いで敗れた後、以前にメアリー高地で対戦したことのあるジェイムズ・ロングストリート中将に追撃された。キャンベル基地の戦いでバーンサイドは巧みにロングストリート軍の裏をかき、自軍の塹壕まで到達し無事にノックスビルに入った。そこでは、市外のサンダース砦の戦いで南軍が敗北するまで短期間包囲された。ロングストリートの軍団をノックスビルで縛り付けていたことで、第三次チャタヌーガの戦いではユリシーズ・グラント少将が南軍のブラクストン・ブラッグ将軍を破ることに貢献した。ウィリアム・シャーマン少将の軍隊がバーンサイド軍の救援に向かったが、包囲戦は既に解かれ、ロングストリートは撤退して結果的にバージニアに戻った。
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