東ティモール問題への関与をめぐる議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 14:40 UTC 版)
「リチャード・ホルブルック」の記事における「東ティモール問題への関与をめぐる議論」の解説
ホルブルックは「人権外交」を標榜したカーター政権の方針もあり、東アジア・太平洋担当国務次官補として、当時すでに国際問題化していた東ティモール問題にも携わっている。1977年8月には、東ティモールでインドネシア国軍による激しい弾圧が行われているさなかにインドネシアを訪問し、スハルト大統領(当時)と会談した。 しかし、この訪問については一部から批判がなされている。メリーランド大学ボルティモア・カウンティ校(英語版)の助教で、アメリカ国家安全保障アーカイブが進めているインドネシア・東ティモール関連文書収集プロジェクトの責任者も務めるブラッド・シンプソン(Brad Simpson)は、アメリカの報道番組「デモクラシー・ナウ!」に出演した際、司会のエイミー・グッドマンとのやり取りの中で「このホルブルックの訪問は、スハルト政権に対して公式に人権問題改革を要求するための訪問であったとされているが、実際のところホルブルックはスハルトと会見した際、インドネシアの人権状況は改善しているとしてスハルトを賞賛すると共に、インドネシア政府による東ティモールの西側諸国への開放・視察受け入れを歓迎する旨を伝え、その代わりに国軍の厳しい規制下にある地域へ(アメリカの)議員団を立ち入らせる許可を受けた。議員団はこの許可に基づいて規制地域に入り、そこで行われた国軍を歓迎する式典に同席し、歓迎を受けていた」という趣旨のことを述べている。そのうえでシンプソンは、「この訪問の裏側で、ホルブルックと当時国家安全保障問題担当大統領補佐官であったズビグネフ・ブレジンスキーは、連邦議会の人権派議員によるインドネシア向け軍事援助を制限・停止しようという動きを封じ、インドネシアへの武器供与を拡大するべく動いていたのだ」と述べるなど、ホルブルックらがスハルト政権による東ティモールへの弾圧やジェノサイドを容認・黙認していたと非難している。
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