方面作戦の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/24 02:12 UTC 版)
「ノックスビル方面作戦」の記事における「方面作戦の後」の解説
ノックスビル方面作戦はビーン駅の戦いで終わり、両軍は冬の宿営に入った。この小さな方面作戦での唯一実効があったことはチャタヌーガのブラッグ軍から是非とも必要な戦力を抜いたことだった。ロングストリートの独立した指揮官としての襲撃は失敗し、その自信が傷つけられた。ロングストリートは、前年の半島方面作戦のセブンパインズの戦いの時にやったように、この方面作戦の失敗を他人を非難することで反応した。ラファイエット・マクローズを指揮官から解任し、ジェローム・ロバートソン准将とイベンダー・ロー准将の軍法会議を要求した。総務局長のサミュエル・クーパーには12月30日に辞表を送ったが、その辞意は受け付けられなかった。その軍団は東テネシーで適切な隠れ場や物資も無く厳しい冬を過ごし、春まではバージニアに戻ることもできなかった。 この方面作戦でのバーンサイドの有能な行動はワシントンでの心配にも拘らず、フレデリックスバーグでひどく傷つけられていた軍人としての評判をいくらかでも回復した。ノックスビル死守に成功したこととチャタヌーガでグラントが勝利したこととで、戦争の残り期間東テネシーの大半は北軍の支配下になった。
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