方面予備隊時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 21:41 UTC 版)
1940年代末の都内では、社会運動の先鋭化が著しく、1949年5月30日には公安条例制定に反対して東京都庁舎・東京都議会への乱入事件が発生、また1950年3月の台東会館事件など、集団暴力事犯が多発し、革命前夜の感すら呈する状況となった。このことから、管内全域にわたる方面別警備体制の確立を図るため、1950年9月16日の訓令甲第四十二号で、7個方面本部の区域に方面予備隊として分散配置するよう改編するとともに、人員も3,064名に増強された。また1951年3月には、各隊8個中隊編成であったものを4個中隊編成に変更して、中隊の編成を強化した。 しかし警備事象は必ずしも各方面に画一に発生するわけではなく、分散運用は柔軟性を欠く部分があったことから、実質的には警邏部長が直接指揮運用することとなっていた。
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