平良将
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平 良将(たいら の よしまさ、旧字体:平󠄁 良將)は、平安時代前期の武将。「良持」(よしもち)とする記録もある(後述)。平高望の三男(あるいは次男[4]、四男)で、母は正室の北家藤原良方の娘。平将門の父。下総国を本拠とし、桓武平氏の中心人物。武家平氏の実質的な祖の一人とされる。従四位下 鎮守府将軍[5]。
- ^ a b c 須藤春峰『東北中世史 岩城氏とその一族の研究』白銀書房、1975年
- ^ 『尊卑分脈』によると良持(良将)の子とする。
- ^ 薩摩平氏の祖で『坂東諸流綱要』に「子孫在鎮西」とある。
- ^ “寛政重修諸家譜”. 2022年2月13日閲覧。
- ^ 兄の平良兼を差し置いて鎮守府将軍に任ぜられている事から考えて、一門の中でも器量のすぐれた人物であったようである。(『将門記1』東洋文庫)
- ^ 「下総少目として下りし浄人の裔」と伝えられる。
- ^ 兄らは源護の娘を娶り良将は違うことから、これらの事が後の将門と伯父らの確執の原因の一つではないかとも言われている。
- ^ [1]
- ^ 良将はその手腕を発揮して未墾地を開発し、広大な私営田を経営。勢力を着々と拡張した。こうした良将を兄の国香以下兄弟は良くは思っていなかったと思われ、また兄らは源護の娘を娶り良将は違うことから、これらの事が後の将門と伯父らの確執の原因の一つではないかとも言われている。
- ^ 高橋修『常陸平氏』(戎光祥出版、2015年)
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