呉越とは? わかりやすく解説

ご‐えつ〔‐ヱツ〕【呉越】

読み方:ごえつ

【一】

[一]中国で、春秋時代にあった呉と越の2国。また、その国の人。

[二]中国五代十国の一。907年、唐の節度使銭鏐(せんりゅう)が浙江(せっこう)・江蘇地方建国。都は杭州(こうしゅう)。978年、宋にくだった

【二】《呉と越とが長く敵対していたところから》仲が極めて悪いこと


呉越

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 00:56 UTC 版)

呉越
呉越
907年 - 978年

  呉越
公用語 漢語(呉語
首都 銭塘
皇帝
907年 - 932年 太祖武粛王
932年 - 941年 世宗文穆王
941年 - 947年 成宗忠献王
947年 - 948年 忠遜王
948年 - 978年 忠懿王
変遷
建国 907年6月16日
滅亡 978年6月11日

呉越(ごえつ、907年 - 978年)は、中国五代十国時代に現在の杭州市を中心に浙江省江蘇省の一部を支配した国。

歴史

初代・銭鏐

建国者の銭鏐杭州の出身で、若い頃はの密売に関わった無頼の徒であった。唐末の黄巣の乱の時にこの地で董昌中国語版が現地の土豪を中心とした兵士をまとめて杭州八都中国語版(こうしゅうはっと)と呼ばれる軍団を作り、銭鏐はこれに参加して浙東観察使の劉漢宏中国語版との戦いで功績を上げ、887年1月に故郷の杭州刺史とされた。その後は杭州八都を自らの物とし、流賊の孫儒中国語版や、浙東で帝位を僭称したかつての主君の董昌、さらに淮南の楊行密らと抗争して蘇州常州を確保。896年に鎮海・鎮東両軍節度使となり、両浙地方(浙江省の東部と西部のこと)を支配した。

907年朱全忠後梁を誕生させると、これに臣従して呉越王とされ、後梁を後唐が滅ぼすとこれにも臣従して、北のと南のに対抗した。

内政面では農地開発や首都の杭州の拡大修築を行い、海上貿易により高麗日本とも通交した。またその利益を持って僧侶文化人の保護も行った。その一方で、民衆に対してはなど生活用品消費税を取り立てていた。

2代・銭元瓘

銭鏐が932年に死去すると、七男の銭元瓘が跡を継ぐ。銭元瓘は内政に勤めて租税を減らすなどの措置を行って良く治まった。この時期に北の呉は簒奪されて南唐となり、呉越に対しての攻撃を行うがこれに耐えた。しかし941年に杭州で大火が起こり、この時に負傷してまもなく死去した。

3代・銭弘佐

その後を銭元瓘の六男の銭弘佐が継ぐ。946年に南の閩は内紛を起こして混乱し、それに乗じた南唐軍が攻め込んでくると閩は呉越に対して救援を求めてきた。しかし呉越は逆に閩に対して侵攻し、福建の北の要所である福州を占領した。

4代・銭弘倧

翌年に銭弘佐は死去し、弟の銭弘倧が後を継ぐ。銭弘倧は軍人たちの掌握に失敗して、948年に反乱が起きて、銭弘倧は退位させられて弟の銭弘俶が後を継ぐ。銭弘倧は幽閉先で詩作と酒に耽り、971年に死去した。

5代・銭弘俶

銭弘俶の時代には最強の敵である南唐が後周の攻撃を受けて、領土を奪われ弱体化したことで呉越は平穏となる。呉越からも後周の攻撃に乗じて南唐に対して侵攻をかけたが、これは失敗に終わる。960年が誕生し、975年に宋が南唐を攻めると、呉越もこれに参加して南唐への攻撃に加わった。宋の大軍の前に南唐が滅ぶと、宋と直接国境を接するようになった呉越はどうしようもなくなり、978年に銭弘俶は宋へ国を献じて自ら終わりを告げた。銭弘俶は開封へ移り住み、宋から淮海国王に封ぜられて、988年に死去した。

銭弘俶の子孫は宋の皇室や外戚と婚姻を重ねる事で生き残った。

文化

歴代の呉越王は仏教を信仰すること篤く、銭弘俶は仏塔を8万4千基作って経典を封じて領内に配った。一部は日本にも伝来し、宝篋印塔のモデルとなっている。

またこの土地の陶磁器の窯元である越州窯中国語版を後援し、栄えさせた。

国際関係

呉越国の対外政策

山崎覚士によれば、呉越は五代十国時代の南方諸国のなかでも中原王朝にもっとも信任され、歴代の呉越国王は十国全体の盟主(「真王」)として扱われていたという。

また初期の呉越は長江東シナ海南シナ海の結節点としての地政学的優位を活かし、中原王朝主導の中華秩序とは別個に自国を中心とする海上勢力圏の形成を模索していたという見解がある。

実際、呉越は朝鮮半島の後百済などに独自の冊封を行っているほか、北は渤海国、東は日本と国交や通商があり、南でも閩や南漢と通婚している。

日本との関係について

呉越は935年にはじめて日本と国交を開いた。翌936年には、藤原忠平が呉越王に書を送り、良好な関係を築こうとした。940年には藤原仲平が、947年藤原実頼が、953年藤原師輔も呉越王に書を送った。957年には呉越王が黄金を送った。

しかし、大陸で統一の機運が高まると呉越の力も弱まり、やがて通航も途切れた。

呉越の統治者

代数 廟号・諡号 名前 生没年 在位
太祖 武粛王 銭鏐(せんりゅう) 具美 852年 - 932年 907年 - 932年
世宗 文穆王 銭元瓘(せんげんかん)、初名伝瓘 明宝 887年 - 941年 932年 - 941年
成宗 忠献王 銭弘佐(せんこうさ) 元祐 928年 - 947年 941年 - 947年
忠遜王 銭弘倧(せんこうしゅう) 隆道 928年 - 971年 947年 - 948年
忠懿王 銭俶(せんしゅく)、初名弘俶 文徳 929年 - 988年 948年 - 978年

参考文献

  • 十国春秋』「呉越世家」
  • 『特別展 呉越国 - 西湖に育まれた文化の精粋 -』(大和文華館編、2016年)

関連する作品

  • 田中芳樹「潮音」(講談社『異色中国傑作短編大全』所収) - 呉越第三代国王・銭弘佐を主人公とする短編小説。

関連項目


呉越

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:50 UTC 版)

中国帝王一覧」の記事における「呉越」の解説

太祖粛王銭鏐在位907年 - 932年世宗穆王銭元瓘在位932年 - 941年成宗忠献王(銭弘佐在位941年 - 947年) 忠遜王(銭弘倧在位947年) 忠懿王銭弘俶在位947年 - 978年建国から932年まで、後梁に称臣。 932年から936年まで、後唐に称臣。 936年から947年まで、後晋に称臣。 947年から951年まで、後漢に称臣。 951年から960年まで、後周に称臣。 960年から978年まで、北宋に称臣。

※この「呉越」の解説は、「中国帝王一覧」の解説の一部です。
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