にんとく てんのう -てんわう【仁徳天皇】 
仁徳天皇
父応神天皇は、皇太子として菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を選んだが、応神天皇の没後、菟道稚郎子は皇位につかず兄の大鷦鷯尊に譲った。
しかし、この様子をみていた皇妃高城入姫の子の大山守皇子が皇位を簒奪しようとしたので二人で大山守皇子を殺した。
そして「日本書紀」では辞退する大鷦鷯尊を皇位に就かせるために菟道稚郎子は自害したとある。
この皇位をめぐる事件は、それまでの皇位継承は末子相続であったがそれが変化したことを意味していると一部ではいわれている。
この仁徳天皇の事績については、「天皇は民の窮乏を憂いて3年間課税を免除した」「質素倹約に努め五穀豊穣を祈った」などとして古来中国でいう聖王を意識したものとなり、父応神天皇にもまして美化されている。
個人的な見解だが、応神 + 仁徳で一人の事績と考え、「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの最初の王「讃」を当て嵌めてみたい。
大鷦鷯尊は即位して都を難波高津宮に移した。
皇后を葛城襲津彦の娘の磐之媛命とし、大兄去来穂別尊・住吉仲皇子・多遅比瑞歯別尊・雄朝津間稚子宿禰尊をもうけた。
皇妃には日向髪長媛がおり、大草香皇子らをもうけた。
この大草香皇子の子に穴穂皇子(第20代安康天皇)を殺害した眉輪王がいる。
仁徳の時代には大阪平野への進出がさらに強まり「茨田の堤」の建設に代表されるように土木工事を盛んに行った。
仁徳天皇は「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの「讃」または「珍」にあてることが多い。
なお、百舌鳥耳原中陵はわが国最大の前方後円墳といわれている。
しかし、この様子をみていた皇妃高城入姫の子の大山守皇子が皇位を簒奪しようとしたので二人で大山守皇子を殺した。
そして「日本書紀」では辞退する大鷦鷯尊を皇位に就かせるために菟道稚郎子は自害したとある。
この皇位をめぐる事件は、それまでの皇位継承は末子相続であったがそれが変化したことを意味していると一部ではいわれている。
この仁徳天皇の事績については、「天皇は民の窮乏を憂いて3年間課税を免除した」「質素倹約に努め五穀豊穣を祈った」などとして古来中国でいう聖王を意識したものとなり、父応神天皇にもまして美化されている。
個人的な見解だが、応神 + 仁徳で一人の事績と考え、「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの最初の王「讃」を当て嵌めてみたい。
大鷦鷯尊は即位して都を難波高津宮に移した。
皇后を葛城襲津彦の娘の磐之媛命とし、大兄去来穂別尊・住吉仲皇子・多遅比瑞歯別尊・雄朝津間稚子宿禰尊をもうけた。
皇妃には日向髪長媛がおり、大草香皇子らをもうけた。
この大草香皇子の子に穴穂皇子(第20代安康天皇)を殺害した眉輪王がいる。
仁徳の時代には大阪平野への進出がさらに強まり「茨田の堤」の建設に代表されるように土木工事を盛んに行った。
仁徳天皇は「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの「讃」または「珍」にあてることが多い。
なお、百舌鳥耳原中陵はわが国最大の前方後円墳といわれている。
| 第16代天皇 | |
| 天皇名 | 仁徳天皇 |
| 読み方 | にんとくてんのう |
| 名・諱等 | 大鷦鷯尊 |
| 読み方 | おおさざきのみこと |
| 時代区分 | 古代 |
| 天皇在位 | 313?年から399?年 |
| 生年 | 生年不詳 |
| 没年 | 没年不詳 |
| 父 | 応神天皇 |
| 母 | 仲姫 |
| 兄弟 | 荒田皇女・根鳥皇子・大山守皇子 |
| 配偶者 | 磐之媛命 |
| 皇子女 | 大兄去来穂別尊 |
| 即位宮 | 難波高津宮 |
| 天皇陵 | 百舌鳥耳原中陵 |
| 所在地 | 大阪府堺市大仙町 |
仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵
(にんとくてんのう もずのみみはらのなかのみささぎ)
仁徳天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 10:21 UTC 版)
仁徳天皇(にんとくてんのう、神功皇后摂政57年 - 仁徳天皇87年1月16日)は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日)。
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- ^ 松原聡 『日本の経済(図解雑学シリーズ)』 ナツメ社、2000年、228頁。
- ^ 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
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