ちゅうきょう‐てんのう〔‐テンワウ〕【仲恭天皇】
仲恭天皇
母は九条良経の娘立子。
1221年父順徳天皇が後鳥羽上皇の倒幕計画に参画するために強制的に譲位され、四歳で即位。
あまりの幼年のため左大臣九条道家が摂政となった。
1221年後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発し討幕の兵をあげたが失敗に終わる(承久の乱)。
承久の乱後、仲恭天皇に対して即位礼や大嘗祭も行なわないまま鎌倉幕府によってわずか3ヶ月で退位させられた。
これにより九条廃帝・後廃帝などと称されたが、明治3年になって仲恭天皇と追諡された。
第85代天皇 | |
天皇名 | 仲恭天皇 |
読み方 | ちゆうきょうてんのう |
名・諱等 | 懐成親王 |
読み方 | かねなりしんのう |
時代区分 | 中世 |
天皇在位 | 1221年から1221年 |
生年 | 1218 |
没年 | 1234 |
父 | 順徳天皇 |
母 | 九条立子 |
兄弟 | □□□ |
配偶者 | □□□ |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 九條陵 |
所在地 | 京都市伏見区深草本寺山町 |
仲恭天皇 九條陵
(ちゅうきょうてんのう くじょうのみささぎ)
仲恭天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 17:38 UTC 版)
仲恭天皇 | |
---|---|
![]()
(『皇国紀元二千六百年史』より)
|
|
|
|
時代 | 鎌倉時代 |
先代 | 順徳天皇 |
次代 | 後堀河天皇 |
|
|
誕生 | 1218年10月30日(建保6年10月10日) |
崩御 | 1234年6月18日(天福2年5月20日) 九条邸 |
陵所 | 九條陵 |
漢風諡号 | 仲恭天皇 1870年8月20日(明治3年7月24日)諡号勅定 |
諱 | 懐成 |
別称 | 九条廃帝、承久の廃帝、半帝、後廃帝 |
父親 | 順徳天皇 |
母親 | 九条立子 |
子女 | 義子内親王 |
在位期間が最も短い天皇。即位礼、大嘗祭を行わないまま廃位された。 |
仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう、1218年10月30日〈建保6年10月10日〉 - 1234年6月18日〈天福2年5月20日〉[1])は、日本の第85代天皇(在位:1221年5月13日〈承久3年4月20日〉 - 1221年7月29日〈承久3年7月9日〉)。諱は懐成(かねなり)。順徳天皇の第三皇子。母は中宮・立子(東一条院。九条良経の娘)。践祚はしていたが即位礼を行う前に承久の乱によって皇位を廃された。歴代の天皇の中で、在位期間が最も短い天皇である。
生涯
建保6年(1218年)10月10日、中宮所生の嫡出の皇子として誕生し、生後1か月の11月26日に立太子。
父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(いわゆる承久の乱)に参加するため、承久3年(1221年)4月20日に譲位され、4歳で践祚。
同年、祖父の後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたが、北条義時の遣わした泰時率いる幕府軍に敗北。後鳥羽上皇・順徳上皇はそれぞれ隠岐・佐渡に、乱に関与していなかった土御門上皇も自ら望んで土佐に配流された。
7月9日に幕府の手によって懐成親王(仲恭天皇)は皇位を廃され、高倉天皇の第二皇子である守貞親王(後高倉院)の皇子・茂仁王(後堀河天皇)が即位した。懐成親王は幼児で、幕府の将軍(摂家将軍)三寅(後の九条頼経)の従兄弟であることから、その廃位は予想外であったらしく、後鳥羽上皇の挙兵を非難していた慈円でさえ、幕府に懐成親王の復位を願う願文を納めている[2]。
まもなく、母親の実家である摂政・九条道家(天皇の叔父、頼経の父)の邸宅に引き渡され、天福2年(1234年)5月20日に17歳で崩御した。
諡号・追号・異名
即位後わずか78日で廃され、即位式も大嘗祭も行われなかったため諡号・追号がされず、九条廃帝(くじょうはいたい)[3]、承久の廃帝(じょうきゅうのはいたい)[4]、半帝、後廃帝と呼ばれていた。
明治3年(1870年)5月、明治政府(太政官)は、大友皇子、淡路廃帝、九条廃帝に天皇号の追諡を行うことにして、神祇官および大学に追諡の撰定を命じた。九条廃帝は4歳で登極、在位78日で廃位、以後17歳で亡くなるまで生家の九条邸で隠棲していたため、諡号撰定の根拠にすべき事績は全くなかった。神祇官でも苦心の結果、天皇が第三子であったことから「仲」の字を、また諡は本来敬を表すものであるということから「恭」の字を選び、両者で「仲恭」の諡号を撰定するに至った。政府はこれに対して弾正台などの意見も聞き、7月20日に「仲恭」と決定し、同年7月23日に神祇官で祭典執行、祝詞をして奉諡を行った。翌日、太政官布告第482号に(『太政官日誌』(明治3年第28号))で、弘文天皇(大友皇子)、淳仁天皇(淡路廃帝)とともに仲恭天皇の諡号が布告された[5]。
系譜
仲恭天皇の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
系図
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
77 後白河天皇 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
78 二条天皇 |
|
以仁王 |
|
80 高倉天皇 |
|
亮子内親王 (殷富門院) |
|
式子内親王 |
|
覲子内親王 (宣陽門院) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
79 六条天皇 |
|
某王 (北陸宮) |
|
81 安徳天皇 |
|
守貞親王 (後高倉院) |
|
82 後鳥羽天皇 |
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
86 後堀河天皇 |
|
83 土御門天皇 |
|
84 順徳天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
87 四条天皇 |
|
88 後嵯峨天皇 |
|
85 仲恭天皇 |
|
忠成王 (岩倉宮) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||
后妃・皇子女
- 右京大夫局 - 性慶の娘
- 第一皇女:義子内親王(和徳門院)(1234年 - 1289年)
在位中の元号
陵・霊廟

陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市伏見区深草本寺山町にある九條陵(九条陵、くじょうのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。
上記とは別に、京都府京都市東山区本町にある宮内庁の東山本町陵墓参考地(ひがしやまほんまちりょうぼさんこうち)では、仲恭天皇が被葬候補者に想定されている[6]。
皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。また若宮八幡宮社(京都府京都市東山区)では、左相殿に祀られる。これは、東山本町陵墓参考地の場所にかつて存在した塚本社からの移祀である。
脚注
関連項目
仲恭天皇と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 仲恭天皇のページへのリンク