北陸宮とは? わかりやすく解説

北陸宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 15:28 UTC 版)

北陸宮(ほくろくのみや[注 1]永万元年(1165年) - 寛喜2年7月8日1230年8月17日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期の皇族後白河天皇の第三皇子以仁王の第一王子とされる[注 2]。以仁王の令旨に応じて挙兵した木曾義仲に奉じられ、義仲入京後は安徳天皇に代る「新主践祚」の候補に推されたが実らなかった。木曾宮・還俗宮・加賀宮・野依宮・嵯峨の今屋殿などとも呼ばれる。


注釈

  1. ^ 読みを「ほくろくのみや」とすることは『訳註大日本史』第2巻巻之49本紀第49等を典拠とする。
  2. ^ ただし『本朝皇胤紹運録』では第67世天台座主である僧・真性を第一王子としており、北陸宮に相当する人物は認められない。また国立国会図書館所蔵本では第三王子の僧・法円を北陸宮に見立てていると思われる書き込みが認められるが確証はない。
  3. ^ 『越中武士団 宮崎太郎長康・宮崎党「その時代と歴史」』による。ただし、宮が宮崎に着いたのは寿永元年8月とする史料的根拠は示されていない。
  4. ^ 平家物語』ではこの模様を「此二十余年見えざりつる白旗の、今日始めて都へ入る、珍しかりし事共なり」と記している。

出典

  1. ^ a b c d 明月記』寛喜2年7月11日
  2. ^ 『訳註大日本史』巻之95列伝第22「後白河天皇の九子」
  3. ^ 玉葉』寿永元年7月29日
  4. ^ 源平盛衰記』與巻第15「宮御子達事」
  5. ^ 『玉葉』寿永2年9月20日
  6. ^ 『玉葉』寿永2年8月17日
  7. ^ 『玉葉』寿永2年9月19日
  8. ^ 吉記』寿永2年11月18日
  9. ^ 『玉葉』文治元年11月15日
  10. ^ 五代帝王物語』仁治3年正月9日


「北陸宮」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北陸宮」の関連用語

北陸宮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北陸宮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北陸宮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS