皇位継承問題への介入とは? わかりやすく解説

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皇位継承問題への介入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:39 UTC 版)

源義仲」の記事における「皇位継承問題への介入」の解説

後白河法皇天皇神器返還平氏求めたが、交渉不調に終わったやむを得ず都に残っている高倉上皇二人皇子三之宮惟明親王)か四之宮尊成親王、後の後鳥羽天皇)のいずれか擁立することに決める。ところがこの際義仲今度大功は自らが推戴してきた北陸宮の力であり、また平氏悪政なければ以仁王即位していたはずなので以仁王系統こそが正統皇統として、北陸宮即位させるよう比叡山俊堯を介して朝廷申し立てた。 しかし天皇皇子二人もいるのに、それを無視しての子にすぎない北陸宮即位させるという皇統無視した提案朝廷側が受け入れるはずもなかった。摂政九条兼実が「王者沙汰至りては、人臣の最にあらず」 と言うように、武士などの「皇族・貴族にあらざる人」が皇位継承問題介入してくること自体が、皇族・貴族にとって不快であった。朝廷では義仲制するための御占が数度行なわれた末、8月20日四之宮践祚した。兄であるはずの三之宮退けられたのは、法皇寵妃丹後局夢想大きく作用したという。 いずれにしても北陸宮推挙一件は、伝統格式重んじる法皇公卿達から、宮中政治・文化歴史への知識教養がない「粗野な人物」として疎まれる契機となるに十分だった山村育った義仲は、半ば貴族化した平氏一門幼少期京都過ごした頼朝とは違いそうした世界触れ機会存在しなかったのである

※この「皇位継承問題への介入」の解説は、「源義仲」の解説の一部です。
「皇位継承問題への介入」を含む「源義仲」の記事については、「源義仲」の概要を参照ください。

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