皇位継承の法制化と院政の禁止
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「院政」の記事における「皇位継承の法制化と院政の禁止」の解説
明治22年(1889年)に制定された旧皇室典範第10条「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」によって天皇の譲位は禁止され、天皇の崩御によってのみ皇位の継承がおこなわれることが規定された。これにより、院政の前提となる上皇の存在は否定された。 院政を否定的に見る考え方は、江戸時代の朱子学者(例:新井白石『読史余論』など)にも見られるが、院政期当時は天皇家の当主を擁した「朝廷」という組織が維持されれば天皇親政でも院政でも、天皇家の当主が天皇に在位しているか退位しているかの違いしか認識されていなかった。ところが、皇室典範の制定は皇位継承が法律によって厳密に行われることを意味するようになり、こうした曖昧な形態を持った「朝廷」というあり方そのものを否定することとなった。これによって、従来は存在しなかった「皇位にあってこそ天皇として振舞える」「譲位して皇位を離れた天皇はその地位も権限も失われる」という概念が形成されるようになり、その後の日本人の一般的な院政観や専門家の院政研究にも影響を与えることとなった。 そして昭和22年(1947年)に法律として制定された現行の皇室典範でも、第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とし、皇位は終身制であり、皇位の継承は天皇の崩御によってのみおこなわれることを定めている。さらに第2条で皇位継承の順序を、第3条でその順序の変更について規定しており、天皇が自らの意思によって継承者を指名できなくなった。また天皇を象徴とする日本国憲法の成立により、天皇が内閣の承認と助言を受けた上で行う国事行為以外に政治に関与することはできなくなった。 その後、平成28年(2016年)に明仁(第125代天皇)が、天皇の位を生前に次期皇位継承者である皇太子徳仁に譲る「生前退位(譲位)」の意向を示した。これにより平成29年(2017年)6月9日に天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、同法に基づき、令和元年(2019年)5月1日に明仁は光格上皇以来202年ぶり、かつ憲政史上初めて「上皇」となった。この生前退位の場合は、「上皇(ならびに上皇陛下)」が正式称号となっており、上皇が行う国事行為及び政治に関与する権限は定められていないため、院政を執ることはできなくなっている。
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