天皇の譲位とは? わかりやすく解説

天皇の譲位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 00:48 UTC 版)

譲位」の記事における「天皇の譲位」の解説

皇位継承」も参照 日本において最初譲位645年行われた皇極天皇(第35代)から孝徳天皇(第36代)への譲位とされており、神武天皇初代)から徳仁126代)まで過去125回の皇位継承のうち、5957代が譲位によって行われている。 過去譲位した天皇太上天皇読みだじょうてんのう)、略称:上皇読みじょうこう)の尊号受けており、太上天皇上皇)の尊号授けられ最初事例持統天皇(第41代)となる。また、上皇となった天皇が再即位重祚)した例もある。 譲位皇位継承争い封じ込めるだけではなく仏教伝来以降、死を穢れとする考え方強まり天皇在位中に崩御することはタブー視されるようになったためでもある。 江戸時代後水尾天皇(第108代)は、紫衣事件など、天皇権威失墜させる江戸幕府行いに耐えかね、幼少女性皇族であった興子内親王読み:おきこ、後水尾天皇第二皇女子、後の明正天皇/第109代)へ譲位行った。この譲位は、「幕府対す天皇抗議」という意味で捉えられている。 ただし、譲位がたとえ君主意思表示であったとしても、それだけでは不可能である。譲位儀式譲国の儀)および譲位後の上皇の住居である御所造営には莫大な費用がかかり、朝廷がそれを負担できなければ譲位行えなかった。実際室町時代下室町幕府財政支援儀式行った後花園天皇(第102代)と安土桃山時代豊臣秀吉政権支援儀式行った正親町天皇(第106代)の間の戦国時代在位した3代(第103104105代)の天皇後土御門後柏原後奈良天皇)は全て在位したまま崩御した。 1889年明治22年)に制定され大日本帝国憲法及び旧皇室典範第10条にて、「天皇崩御によって皇位の継承が行われること」が規定され、「天皇の譲位を認めないこと」が明文化された 。当初宮内省図書頭井上毅策定した旧皇室典範原案では譲位に関する規定盛り込まれていたが、高輪会議呼ばれる会議にて当時内閣総理大臣であった伊藤博文が異を唱え典範から削除された。 1947年昭和22年)に施行され日本国憲法に基づく現行皇室典範においても第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ち即位する。 」と定めており、天皇の譲位は認められていない。これらの制度法律について2016年平成28年8月8日に、当時天皇明仁が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を表明した。 こうして、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法平成29年法律第63号)」が2017年平成29年)に制定された。同特例法に基づき2019年平成31年4月30日を以て明仁退位した同時に、翌(令和元年5月1日徳仁第126代天皇として即位退位した天皇上皇となり、光格天皇以来200年ぶりの譲位実現した。ただし、同特例法第125代天皇明仁一代限り退位のみに適用される為、皇室典範本則改正又は退位可能にする新たな特例法律制定しない限り次代天皇である徳仁以後終身在位となる。

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