天皇の親拝停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 05:15 UTC 版)
昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度、靖国神社に親拝したが、1975年11月21日を最後に親拝が行われなくなり、明仁も天皇在位中親拝を行わなかった。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたことを理由とする主張(合祀は1978年(昭和53年)10月17日であり、昭和天皇親拝停止三年後である。)と1975年当時の三木武夫首相が同年の終戦の日の参拝の後、「総理としてではなく、個人として参拝した」と発言した事を理由とする主張とがあった。昭和天皇が合祀に不快感をもっていたことを記録した「富田メモ」や、内容を裏付ける『卜部亮吾侍従日記』に基づき、松岡洋右と白鳥敏夫の合祀が天皇の親拝を妨げていたと考える説もある。 なお、天皇の靖国神社への親拝が行われなくなった後も、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われている。
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