皇位継承儀礼の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:05 UTC 版)
天皇が皇位を継承するにあたって執り行われる行事は数多いが、特に重要であるとして現代に続く行事として、即位の礼の中心儀式で天皇が高御座に上って皇位継承を内外に宣明する「即位礼正殿の儀(←即位礼紫宸殿の儀)」と、歴代の天皇霊を受け継ぐ神道祭祀である「大嘗祭」とが挙げられる。皇室の始原が語られる記紀神話においては、大嘗祭は天岩戸伝説に、即位礼は高千穂峰への天孫降臨にそれぞれ比定されるとの説がある。 記紀の記述によると、古代において、即位礼は正月に行われた記録が多い。これは推古天皇の時代に中国大陸から暦の知識が輸入されるとともに、中国大陸の例に倣って正月即位の形が恒例化されるとともに、それ以前の即位礼もそれにあてはめ、その多くが正月の日付を与えられたのではないかとされる。 一方、大嘗祭は天皇が大嘗宮にこもり、天孫降臨時のニニギノミコトを模すことによってニニギノミコトが天照大神から受けた霊威を新たに得ることであり、元は冬至の頃(太陽太陰暦では11月頃)に行われる忌籠りの祭祀であったとされる。 古代における両儀式の次第が詳細に記録されているのは、朱鳥4年(689年)の持統天皇の皇位継承に関する記述である。この時の一連の儀礼は、次の手順で行われた。 正月1日、石上麻呂が大盾を樹て、神祇伯の中臣大島が天神寿詞を読み、忌部色夫知が神器の天叢雲剣と八咫鏡を奉った。公卿百寮は羅列して八開手を打って拝礼した。翌2日、元旦朝賀と同様の拝賀が行われた。中国風の儀式を取り入れ、焼香を行い、公卿百寮が拝礼し、万歳を奉唱した。 翌朱鳥5年11月24日、大嘗祭が行われた。この日は冬至にあたった。25日、中臣大島は再び天神寿詞を再び詠んだ。28日、饗宴が行われた。 即位礼と大嘗祭とで天神寿詞が二度読まれたことから、古来は大嘗祭の翌日に即位礼が行われており、時代が下るにつれて即位礼が正月に移動したのではないか、とされる。これらから、陽光(天照大神)が弱まった冬至の日に天皇が忌籠り大嘗祭を行い、翌日大神の霊威を得て「ハレ」の状態となった新帝が即位礼を行うのが本来の形であったと思われる。 その後、平城天皇の時から、先帝が位を退くと同時に直ちに新帝が践祚し、神器を受け継ぐことになった(践祚・即位の分離)。
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